■高卒後の半世紀  金亀一三会の発足と自身の歩み  沢田建二さん(旧3年4組)

平成26年4月6日に第5回・彦根東高等学校卒50周年記念の同窓会が開催されました。
本来なら来年(平成27年)に挙行されるべきところ、同窓会準備委員会のメンバーの創意で当計画案を一年前倒しして今春に執り行われた訳です。
此の機に改めて母校を卒業して半世紀と言う長い歳月が過ぎ去っていた事に気が付き、誠に感慨深い思いをすると共に、当日出席されていた方々に於かれても、それぞれの思いが多々おありになるご様子を司会席よりそっとお見受け致しておりました。
又恩師を四名ご招待出来たことも幸いしました。
これからも「金亀一三会」を軸に旧交を温め友情を培い邁進して参りたいものです。
ところで余談ですが私の仕事廻りの取引先等では世代交代が顕著に始まっている昨今です。
勿論ちっぽけな弊社に於いても今期7月より私は代表職を退き娘婿と交代しました。
身近な話では弊社取引銀行の営業担当の青年からは昭和40年代の日本の高度経済成長の始まりからバブル崩壊までの社会(政治、経済)の動き、又勤勉に励み、歩んできた我々の団塊世代の話を一部始終聞かせてほしい等と依頼を受けている始末である。
どうやらこの辺で少しは記録に残せる行いをすべきかと思っているところへ私共の同窓会「金亀一三会」に於いても、現在折角設けられているHPを活用しながら、卒50周年を迎えて個々の思いを寄稿文にしてとの誘いに際し、此処で当会の発足のプロローグや僭越ながら私自身の歩んで来た半世紀のアーカイブを基に、気が付いた当時の社会情勢や生活背景を参考に、思い付くままの作文を寄稿することにしました。

思い出せば昭和40年3月に卒業後の日本社会や経済は正に現在の新興国、取分けアジア圏の諸国と同じ位だったでしょうか・・・(コカコーラボトルが大学生協で¥35だった)
高校入学時の頃の世界は東西冷戦、キューバ危機、ベトナム戦争、ヨーロッパ諸国ではEECへの動きと様々なニュースが飛び交う中で、日本は東京オリンピック開催を前に社会資本の投資が大きく、この辺当りからが高度経済成長の時代の幕開けだったのでしようか・・・・・
在学2年生の時に、通信衛星が世界を跨いで地球上から画像を送ると言う矢先、日本への第一報があの悲劇が起きた「ケネデイ大統領暗殺事件」だったのです。
その後に大統領職を引き継いだジョンソンの時代の施作はベトナム戦線が拡大し北爆を始めるなど戦争の泥沼化と言う悲しい記事が新聞を埋め尽くしていました。
当時沖縄の米軍基地からB52が飛び立っていた事を今の若年世代は知っているのだろうか。
在学3年生の秋、10月10日は最高の日本晴れの日に東京オリンピックが開催され、名実ともに日本は豊かな経済国家への道標を設けて行こうとする絶好の機会だったでしよう。
しかるに水俣病と称する公害問題など社会悪を起こす諸問題も沸々と生じて来ていました。
高校卒後は滋賀大学経済短期大学部に身を置いていた私は、本学部の先輩たちに誘われてバトミントン部に在籍させてもらっていた気楽な(ぼんくら)一青年でした。
合宿生活でしごかれた経験は今でも楽しい思い出として残っています。
特に早朝から外堀を一周走り、おまけに天守閣まで猛ダッシュで駆け上がったものです。
肉体的に耐える事、挑戦する心構えの為のエクササイズだったと思っています。
近年同総会準備委員会の事務局長・鈴木宗嗣君が4月にお花見会を当地で設けて下さって登城した時は心の隅で高校在学時のブランクタイムから並行して色んな思い出が甦って来ていました。

又当時は名神高速道路がいち早く開通していて父親が商用車を購入して車で東海道を東へと商用出張を試みる時期になっていて、事業は兄が継承するものと思っていた。
学生社会の思想背景はあらゆるセクトに分かれ独自の学生運動が活発化して、結果は実りも無く又社会的な支持を得られず数年後には崩壊し、取分け連合赤軍と称し哀れな末路に突き進んでいったグループもあった。
ノンポリの私は気楽なもので18才の半ばに車の免許証を取得する為に平田山近くにあった自動車学校へ通わせてもらってました。
当時の練習用の車は実にひどいポンコツ車両で現在なれば危険極まりない代物でしたね。
運転免許を取得する事が父親の策略とも知らず、私の人生岐路Part1の始まりでした。
一回生の冬休みと二回生の夏休みと父親について運転手役で商用出張の手伝いをするうちに実社会の一面や親の苦労を知る羽目に・・・・・
バトミントン部でお世話になったマネージャー(T氏)は色々と相談できる素晴らしい先輩で、下宿先によくお邪魔して話が尽きずに度々泊めてもらったものです。
部屋の浸み汚れた竿天井を眺めながら枕を並べ教授が講義をする様な雰囲気で色々な話をしてくれました。当時は40年不況と言われ金融界では山一證券が倒産した時代でした。
話の過程で先輩からの言葉が「大学の文学部や経済学部を卒業をしたからと言ってこれからの企業社会は余程のエキスパートにならない限りそんな人材を要求しないよ!」って・・・
それでは・・・っと思い立って早速退学届を提出しに行ったところ学務長から休学届にしておいて考え直せと言われたものの、決意は変わらず今の仕事を踏襲する決心をしました。
今日に至るまで内に外にそれはそれは語り尽せない程、喜怒哀楽色々な事がありましたね。
今のところ歩んで来た仕事への悔いは無いのと物心両面で大きな事故に遭遇せずに今日まで来られたことに感謝していますが、年を重ねるごとに余分な心配事が増えて来るのはどうした事でしょうか。

実業界へ入り自分の人生の過程で記憶にあった事は昭和46年のニクソンショックの影響から世界通貨の変動相場制の以降で円が大幅に切上げられた事、今では当時の3分の1以下(つい数年前までは4分の1)と通貨制度の大変革や佐藤内閣政権下で沖縄返還、(昨年無くなった小説家山崎豊子が執筆した「運命の人」の舞台でもある)お蔭でその後の昭和48年はビザなしで新婚旅行に行けた事。しかしながら当年は中東戦争の影響でオイルショックの渦中にあり、物の相場はけたたましく高騰し、春には濡れ手に粟の如く儲かり、秋にはすぐさま大損して行った物流界でした。
その後は政界を揺るがしたロッキード事件、昭和50年には前首相・田中角栄逮捕、やがてバブル経済の発端となる土地神話が日本の歪んだ経済社会へ導いて行ったのでしょうか。
土地価、株価、会員権、等々資産価値の解釈間違いが人の心を狂わせた時代でした。
昭和64年が始まって間もなく昭和天皇の崩御と共に新しい年号の平成の時代が始まったかと思いきや、バブル崩壊、金融界は大騒動で世情は暗くなって行くばかりであった。
平成5年には自民党宮沢政権が崩壊(悪徳政治家小沢一郎の裏切り)、細川連立政権が発足するも政治情勢は軟弱な政権が担っていくことになる。
平成初頭より身近に居る高等学校の同級生と自然と交流機会が増えてくると同時に関東圏に在住する友も、商用出張など用事を兼ねて関西へ出掛けて来た時に懐かしい声で電話が入ってきたり、今から振返って考えてみると丁度年齢的に落ち着いた世代に入っていたからでしょうか・・・「朋有り、遠方より来たる。亦た楽しからずや」或いは「友恋し」と言ったような雰囲気が芽生えて来ていました。
高校卒業時を思い起こせば当時は3月早々に卒業式を終え残る日を公立校への受験に向って皆は夫々に散って行ってしまって、母校へはその後の経緯結果報告だけで終わっていましたから、その後の友達の消息は途絶えていたのも同然でした。
連絡を取るにも親しい友以外は母校本体の同窓会「金亀会」が発刊して下さっている冊子の中の住所録だけが頼りでした。
そんな頃、平成5年に親しかった3年4組の有志や、ボート部で活躍していた有志共々が京都で集ったのがきっかけで、その時に語り合う中で平成7年度を迎えると卒後30年になるなどと深尾 優君(3年8組)が言い出し、それでは我々の学年の同窓会を開催するためにその準備委員会を結成しましようと即決、今日の「金亀一三会」発起の原点になったのです。
同窓会開催に向けてリード役の初代会長を深尾君にお願いをして、各クラスの代表、委員会の諸雑務係りの選任を経て強力な布陣のメンバーで会が結成され、その後は数回会合を重ね相談しながら諸々の準備作業をこなし平成7年8月に第一回の同窓会を彦根プリンスホテル(当時)にて開催し250名近い出席者が集うなど大成功裏に終わりました。
しかしながら平成17年の第3回開催後、平成19年11月には深尾君が病気で急逝するなど悲しい残念な出来事もありました。
平成20年1月より後任の会長として奥野達夫君(3年9組)が務めて下さる運びとなり、平成22年1月に第4回同窓会を開催、そして当年3月より木野和也君(3年6組)にバトンタッして頂き現在に至っております。
※     此処でお断りとちょっとしたエピソードをお話します。
当会の名称「金亀一三会」(こんきひとみかい)は、そもそもゴルフを嗜むグループ(代表・鈴木君、太田君)の呼称でしたが、同窓会執行部のお願いで彼らよりご了解を得て譲り受けたものです。

当時の時代背景を今一度回帰してみますと、平成7年の政局は社会党の村山連立政権下、阪神淡路大震災、膨大な債務を抱えた銀行と傘下の住専問題、カルト集団のオウム事件と世を揺るがす大事件ばかり起こり、更に経済は下降線を辿りその後は停滞しっぱなしの無の10年と言われつつ平成19年新潟中越沖地震や平成23年東日本大震災と大自然災害が起こるなどの天変地異、その間の平成20年にはリーマンショックと金融界がまたまた揺さぶられ、平成21年には政治の世界では自民党政権の崩壊と共に、世間からは一度は任せてみようと期待された民主党も為体な鳩山・菅政権下で政治のミスが目立つばかりでヤキモキさせられる等つい数年前までは無の20年とまで言われていたが、自民党の安部政権の政策効果か円安、株高でようやく経済も浮揚し始めてやれやれと思っているうちに、世界情勢が大国、小国を問わずあらゆるところで険悪な事態に陥っているのが大きな憂いでもあります。
ちょっと振り返っただけでも此の半世紀はやはり激動の社会そのものでしたね。
これからもどうなる事やら、安穏の世を期すばかりです。

後述
私なりに歩んで来た高校卒後の半世紀を当時の時代背景を踏まえて、単なる思い付きで書き綴ってみました。
あんな事こんな事があったな!等と回帰しながら、読み流して頂ければ幸いです。
先般開催された卒50周年記念第5回同窓会のお手伝いを無事終えた事へのお礼のご挨拶と、此の20年余り同窓会「金亀一三会」の結成と開催に至るまで何時もご尽力下さってます準備委員会の皆様そして、ご協力を頂きました金亀一三会会員各位に厚く御礼申し上げますと共に益々のご健勝をご祈念致しております。

追伸
皆さんからの寄稿文期待しています&お願いしま〜す。


平成26年7月                       金亀一三会・副会長
                               3年4組 沢田 建二