■同窓生 島津義和君逝くーご浄土へ 木野和也さん(旧3年6組)

 新年早々であるが、1月8日に山中君から連絡あり、事務局長の鈴木君からメールが入る。世話役沢田君はスリランカ。10日の葬儀に参列する。会場には、同窓生が10名以上お参りしていた。喪主の息子さんから、「癌を患うが、家族の前では一切『痛いとか、しんどそうな』表情を見せなかった気丈な父親であった」という挨拶。出棺に際して、同窓生は彼に花を手向けた。穏やかな表情で眠っているような表情。島津君は、東海大学OB会世話役や金亀会関西支部の世話役としていろいろと活躍していたことが弔辞で語られた。そういえば、今回の卒業50周年記念寄付についても、昨年6月に東高へ出向いて校長・事務局長との話し合いにも付き添ってくれた。その時、お茶を飲みつつ、刀剣の骨董商のことに関わっていること元気に語ってくれ山中君と興味深く聞いた。
 葬儀の後、久々に顔を逢わせた仲間9名と遅い昼食を囲んだ。やはり、話題は「病気一病息災」「介護の大変さ」「体力の衰え」「年金への不満」などの交流になる。現役で頑張るメンバーも隠居生活を謳歌するも「死のハードル」がだんだん低くなってきていることは心のどこかに感じつつ別れた。そこで、余談だが、仏教のことを知らずに「Buddist」と飛行機のボーディングカードには書いていた。私は、真宗大谷派のお寺の門徒。法然の弟子の親鸞・蓮如の系統。昨年から寺の世話方として寺デビュー。それまでは、全くのご無沙汰。25年は、毎月一回お講の世話と永代経・報恩講・彼岸、磨き物など、先輩からご指導を受けて失敗を繰り返しつつ勤めている。あと一年ある。「ひろさちや」の著書からの一口メモ・・・。唱える念仏は「南無阿弥陀仏」。この「ナアミダブツ」は3つの言葉からできている。<南無>は、サンスクリット語の「ナマス(namas)」―あいさつの「ナマス・テー」に使われる。テーは、あなた。尊敬と信頼の意味を持つ。仏教的な表現では、「帰依する」「帰命する」となり、「私はあなたに命(すべて)をお任せします」という誓いののことば。
<阿弥陀>とは、「アミターユス(Amitayus)・アミターバ(Amitabaha)」。アミヤーユスは「無量寿」で「宇宙に脈打つ終わり無きエネルギー」アミターバは「世界のすべてをくまなく照らす真理の光」という意味。<仏>は、ブッタ(Buddha)。意味は、「目覚めた人・悟った人」この意味から「ナムアミダブツ」は「無限の生命力・真理の光」の仏様にすべてをお任せします」ということになる。 こうした田舎の生活に浸っている日々。(合掌)
 

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お正月の仏花の手作り                               お講りの世話