◆感想文 03  「湖猫,波を奔る」を読んで   西村 仁司(旧3年7組)

先ず,本を読んだ素直な第一印象としては,琵琶湖周辺の風景が次々と映し出され,故郷を懐かしく思う気持ちにさせられ,更に,地元特有の方言交じりの会話に昔を思い出させられ,どんどん引き寄せられる内容だった。物語の中心をなす笛,穴(洞窟)について,その分析内容と云うか,詳細な内容について調査されたのであろうその博識に驚かざるを得ない。例えば,笛については,その種類もさることながら,吹き方一つでも違って聞こえる音色をまるで読者に聞かせるように表現するところなど音楽家なのかとさえ感じる。また,穴(洞窟)についても,その成り立ちが自然であったり,人工的であったり,まるで地質学者のような解説や表現,更に歴史的な背景に関しても十分な解説が加えられており,作者のこれまでの蓄えられた知識からの賜物であろう。しかも,穴と云う単純な物理的に見れば空間でしかないものを,哲学的とも云える世界に繋がった穴として捉え,読者を宇宙へと誘う筆致は独創的かつ夢想的な素晴らしい力量と感じてならない。
さらには,登場する名所旧跡は琵琶湖周辺なので名前は聞いているが,私自身は行ったことが無いところばかりにも拘わらずその表現は,時には科学者のごとく詳細,且つ論理的な数値を交え,時には文学者のごとくその情景が目に浮かぶような表現を用いるなど。それに加え,文章表現も非常に忠実且つ丁寧なところが随所にあり,どこにそれだけの才能があったのか,高校卒業以降約50年の間に得られた知識と経験に裏付けられた作者の能力にただ驚くばかりである。
最後のクライマックスは,テレビプロデューサーの経験者である作者のこれまであたためておられた構想と云うか,テレビ放映場面をふんだんに採り入れた詳細なドラマは読者にその場にいる雰囲気を醸しだし,十分に映画の一場面にもなる脚本であり,カワウの大群や洞窟の異変など,どこかで見た映画の場面のようにも映ったのは私一人ではあるまい。

敢えて注文を付けるとすれば,全体を通して登場人物が印象に残らないように感じた。それは,人物の内面・感情・思いなどがあまり表現されていないからであったが,風景・情景などそこにある自然にスポットを当て描き出したかった作者の意図なのかも知れない。
物語の中で,年代が1980年(昭和55年)から,ざっと20XX年と30年程度に及び,時間の流れを描き出したかったのかも知れないが,人物の変化が単調で淡々とした時の流れになっており,その変化に読み返しながら追っかけるのがやっとであった。何度か読み返すと各章が青春の一ページをなしており,作者の青春の想い出が出ているのであろうと思われるが,何度も読み返さない読者には,それよりも1年ぐらいに凝縮して,各章の部分を過去の想い出などとして挿入すればその人物の表情が浮き出され人物にも共感が持て,時代の流れにあたふたするようなことはなかったのかも知れないと感じたのだった。また,博学ゆえの為すわざかも知れないが,穴から展開して金属のボイドと比較するところは,何か発想の飛躍があり冗長さを免れず,金属学を学んだ人の情報を基に挿入されたと思われるのは気のせいだろうか?

最後に,多分この本を読んだ我々高校の同窓の面々が,黒猫フーコ,朱美,盛太郎など登場人物の何人かと旧友の面影がダブってきたのではなかろうか?或いは作者自身の青春の想い出を綴った一部だったのかも知れないと感じられた。そうした意味では是非同窓の諸君も,この本を読むことで,改めて若き青春を思い出すのではないだろうか。

私自身,改めて,本の中に出てくる滋賀県内の旧跡,特に竹生島を巡ってみたいと思った次第である。