■韓流ブームに思う

「冬のソナタ」が昨年はブームとなった。年輩の,特に女性が,“ヨンサマ,ヨンサマ”とはしゃぎ,それ程男前の顔でもない男優に夢中になっているおばさまたちが居る。昔のグループサウンズに夢中になった世代が,形は違うが同じように熱中している。

どこにそれだけの魅力があるのか?そんなこと言うのは野暮なこと,僻みからくるのだろうと笑われるかも知れない。見もしないで言っているのではない。NHKの放送20話を夜遅く,時には時間がずれて真夜中の12時を過ぎたこともあるが,全て見ての感想である。

純愛もの

ストーリーは高校生の仲間,仲のよい6人のクラスメートのごくありふれた話からスタートする。幼なじみの友情から恋愛,それに女同士の恋敵,まさに青春の淡い想い出を連想させる展開である。主人公なるチュンサン(ヨンサマと叫ばれるペ・ヨンジュン)とユジン(女優のチェ・ジウ)の純愛もので話が展開する。その主人公チュンサンが交通事故で亡くなるところから,問題が複雑化していく。

数年後,そのチュンサンの生き写しのイ・ミンヒョン(ヨンサマと叫ばれるペ・ヨンジュンが二役)がユジンの前に現れ,女同士の恋愛感情がもつれあう一方,幼馴染のサンヨクとは婚約した間柄であり,四角関係で話が複雑に展開する。さらに複雑な親子関係を背景に次から次へと話題が展開していく。見ていて気の短い人でなくとも,回りくどいストーリー(特に,煮え切らない婚約者の行動と,同じような話の展開が繰り返されること)にいらいらすることも多い。多分この物語を撮っている監督は,純真な心の奥底を描き出そうとしており,そうした場面が次々と出てくる。今の若者にはこのストーリー展開では惹きこまれそうにもない。おばさん世代だからこそ,青春を振り返って惹きつけられるのかもしれない。

日本のドラマがドタバタ

なぜ,こんなストーリーにいい年をしたおばさん連中がハマってしまうのだろうか?その心理は微妙でよく判らない。特に,感じたことは日本の最近のドラマがドタバタが多すぎるのである。この物語は,純粋な恋愛もの,それも殆ど一般的なラブシーンらしきものはなく,純真な恋愛ものである。この純真さに心を打たれるのだろうか?ただ単に,この主人公のヨンサマが独特の笑顔で微笑み掛けるシーンがたまらないのかもしれない。或いは,最近の中学生や高校生よりも,この年代のおばさんたちの方が余程純真な心を,奥底に秘めているのかもしれない。

女房の友達にも,ヨンサマにハマって,全てのビデオはもちろん,韓国までも出かけたと云う人がいる。結構,話の話題になっていて,かなりのおばさんたちが見ていたようである。幸か不幸か,内の女房はあっさりしていて,その気が知れない,と云った風である。むしろ,私がずっと見ていたのを怪訝そうに見ていたくらいである。

韓国ドラマの定番は「いじめ、記憶喪失、不治の病、すれ違い、幼なじみ」と儒教の国らしく「義理の兄妹の愛」だそうだ。そのように言われてみると,「冬のソナタ」をはじめとして,最近も繰り返される韓国ドラマが,これらのどれか(複数も)を扱っているようである。

そう言う私もチェ・ジウの笑顔,と涙に魅せられている

主人公の恋人役チョウ・ユジンにチェ・ジウと云う女優が出ている。涙を流すことにかけては,韓国一の女優だとか?この笑顔と,涙顔がなかなか可愛いのである。回りくどいストーリーはともかく,この女優の仕草を楽しんで見ていただけかもしれない。テレビからはそうは感じられないが174cmもある大柄な若い女優であり,どこか垢抜けた男性を惹きつけるものを持っている。「冬のソナタ」は全て見て,そのストーリーもはっきり覚えていて,おばさんたちの話題にもついていけるかも知れない。そう言う意味では,年代のおばさん連中の気持ちと同じで,ヨンサマに嵌っているおばさんたちをあれこれ言う資格はないかもしれない。

韓国人の想い出

私の韓国人に対する印象はあまり良くなかった。子供の頃,小学生時代,当時はクラスに2,3人韓国人の同級生がいた。何となく薄汚い,にんにくの臭いをプンプンさせた子供たちであった。何の機会だったか葬儀にも行ったことがあるが,あの独特の泣きわめく風習を極めて異様なことを子供心に感じていた。彼らは,4年生か,5年生になった頃,全員朝鮮へ引き上げて行った(今の北朝鮮である)。だから,私の韓国に対する印象,つまり子供心に感じた軽蔑した見方はずっと近年まで続いていた。

韓国を実際訪れて感じたこと

ヨンサマブームで訪れたのではない。3年前に初めて仕事の出張で韓国へ3〜4日間,二度ソウルへ行った。仕事の合間に,民族博物館のようなところを見学した。そこにはたまたま特別展示会のようであったが日本の文化が展示されていて,昔の私たちの学生服から通信簿に至るまで,実物が展示してあり,私たちの子供の頃の様子,即ち日本の少し前の生活そのものが,子供(小学生)から成人(会社生活)になるまでが詳細に描き出されていた。日本に対する感情は微妙なものがあるようである。

その一つが,豊臣秀吉の出兵である。ソウル市内でも古く豊臣秀吉が朝鮮出兵した名残がある(文禄・慶長の役)。(朝鮮では壬辰(じんしん)・丁酉(ていゆう)の倭乱と呼んでいる)1952年に小西行長や加藤清正らが1万8000人の兵を率いて,釜山からソウル,平壌まで一気に攻めたが,翌年には食糧不足と病気で撤退したと伝えられている。二度目の慶長の役では,14万人の兵卒が率いられたが,苦戦を強いられ,途中で豊臣秀吉が亡くなり引き上げた。これまでの朝鮮との友好がこの戦いで崩れ,朝鮮にとっては豊臣秀吉は悪者扱いされている。ソウルの中にも名残があり,未だに語り継がれている。

また,あの独特の記号か何か判らない文字が並んでいる。いわゆるハングル文字である。あの独特のアルファベット同様,表記文字,表音文字でそれ自体に意味はない。母音と子音の組み合わせである。元々は日本同様,中国の漢字文化圏である。したがって姓名は漢字が使われることが多い。しかし,このハングル文字が第二次世界大戦後,一般に普及され,特に1960年代には一時,漢字を使わない教育期間があったようである。今ではハングル文字が新聞でもほとんどだそうである。

仕事の中で感じたことは,日本とのスピードの違いである。我々の仕事のやり方と比較するとスピードがまったく違う。とにかく驚くほど早いのである。我々が通常2,3週間掛かることを,1週間でやってしまう。ちょうど我々が高度成長時代にがむしゃらにがんばっていた頃の姿がそこにある。三星(販売規模が1兆円を超す巨大メーカ),LGと云った代表するエレクトロニクスメーカを訪問したが,とにかく若い集団である。課長が30代半ばで,私たちのような年寄は見当たらないのである。この違いは,日本が韓国にも追いつかれたしまった部分を象徴しているようでもあり,特に三星の戦略は目を見張るものがある。(日本の技術者の頭脳を利用するため,2,3百人の年配の日本人を雇っている)

それと最も驚いたのは,日本車を1台も見かけなかったことである。東南アジア,いや世界の各国どこへ行っても(せいぜい10数カ国だが)日本車を見かけないことはこれまでなかった。日本車そっくりの車がほとんどであるが,どれ一つとして日本車のマークがないのである。ベンツなど高級外国車はときどき見かけるのだが,3,4日間の二度にわたるソウル付近の出張では,ついに見つけることができなかった。駐在している人の話では,全く輸入されていないのではないようである。ここでも日本の技術が完全に盗まれているように感じられた。

ソウル市内には明洞(ミョンドン)と云う,東京の新宿の小型化のようなところがあり,日本の専門店や外国の有名店などが集まった街角があり,若者が集う場所がある。日本の街を歩いている感覚と間違えそうな,ただ周りが韓国人といったところや,南大門,東大門といった大きな市場,それも露天商が集まったような,それでいてすごく活気溢れる場所もある。

実際に韓国を訪れ,仕事を通じて,或いは街角で見かける風景や人種に触れ,今までの韓国に対する偏見に満ちた考え方は大いに改めさせられた。更に,今回の韓流ブームが輪を掛けて,親しみを感じさせてくれている。

韓国の写真:http://hnishim1.hp.infoseek.co.jp/Asia/Korea/Korea.htm

 

[2005.02.20 Reported by 「金亀一三会」システム担当  Hitoshi Nishimura