■ご挨拶    新会長 木野 和也さん                     スタートへ戻る

私は、平成の大合併で大いに荒れました「安土町」に住んでいます。その私が、合併推進と反対の狭間で「町長リコール」を受け、
スムースな合併をめざして21年9月25日に町長選に立候補しました。合併の相手の近江八幡市長は富士谷英正君。
しかし、残念ながら私は、「落選」でした。その時、新聞記者をしていたのが同窓生のN君でした。N君は、私に同情してか、
元気づける意味もあってか、一緒に1月3日の同窓会に参加しないかとこえを掛けてくれました。無職の私に手をさしのべて
くれたのです。迷っていた私は、「参加」とハガキを出しました。3ヶ月後の正月の三日。100名あまりの同窓生に出会いました。
何かと新聞で知ったという「話題の人」でした。旧友と出会い、お酒もたくさん戴き今年の幸せを実感していました。なんと
6組代表で挨拶もしました。

「振り返る 道の起伏や 春霞」といった一句を頭に、「こうしてみなさんと出会える幸せとふるさとの温かさを感じている」
なんてきざな台詞を述べました。

後半、突如、司会の沢田健二君から、「私の名前」が呼ばれたよう気がしました。「奥野会長が、深尾優君の後、5年間役を
引き受けてきたが今回勇退。その後に木野和也君を」という趣旨でした。酔った勢いで、前に出て行って「私で良いんですか」と
会場のみんなに2回聞きました。会場は、「まあ、仕方が無かろう」との反応だったと思います。そこで、沢田君が「この件に
ついては、準備委員会にて再度検討します」ということでけりが付きました。

実はこのことが後々みなさんにご迷惑をかけることになります。私って言うのはいつもオチョコチョイ(関西)で、ドジをして
しまうのです。家に帰り、家内に叱られるわ、準備委員会の皆さんには「あんな、準備委員会のメンバーでもないのに・・・」
と思われていないかと反省しきり。

話は、飛んで、1月31日に京都で「準備委員会の反省・会計報告会」があり、それに出席しました。20名近い参加者、そこで、
私は、小さくなって座っていました。事務局長の鈴木君が、開会の前に「緊急提案」で、1月3日の決着をつけるべく、一三会の
同窓会の会長選出のことを改めて議題にして、沢田君から事情の説明がありました。私は「傍聴席」に座っている気分で成り行きを
見守っていました。

結論。いろいろ意見があり、「木野に会長を」ということになりました。
こうした経緯で、不肖 木野和也が、3代目の役に就くことになりました。
どうぞよろしくお願いします。

長々と前置きを述べすぎましたが、こうしたご縁で同窓会一三会の幹事の一員として承認されましたので改めてご挨拶いたします。
 ・従来通り、5年ごとに開催か、3年ごとに開催するかは、今年中に、幹事会で決めたい。ただし、皆さんからのご意見も幹事の
方に戴きたい。
 ・この一三会のホームページは、西村君仁司君が作成してアップしてくれていますが、もっと活用する方法をそれぞれがアイデアを
だしたい。情報社会は、団塊の世代は、どんどん利用できるはずであり、ネットワークを広げることにより、再び絆が深まる。
 ・私は、東高で新聞部に入っていました。高校を卒業して、東高の同窓生と機関誌「いちょう」を四号まで発行してきました。
40年前のことですが、良い思い出です。それと同じように、同窓生の皆さんから「東高の思い出」の雑誌でも出せればと思って
います。これは、できればいいな・・・。です。幹事の皆さんとも相談して、みんながその気にならないとできません。
 ・還暦を過ぎて、第二の人生を歩んでおられる同窓生は、世の中に恩返しのつもりで、交流を深めることも愉しいと思います。
カンチュウ先生の台詞「友アリ、遠方ヨリ来タル、亦愉シカラズヤ」の域です。私は、4月4日の幹事会で、彦根城のお堀の
桜の下で、桟敷(ブルーシート)に座って、花見酒戴きました。これは、初体験でした。この役に感謝しています。

ということで、このページ見られた方は、書き込みをどんどんしてください。そして、輪を広げる一役をお願いします。
以上。あいさつです。最後に、皆様方のご健康とご多幸をお祈りしています。

                                                             木野和也