■ワイワイ談義 (3)―安土の隠れた魅力 木野和也さん(旧3年6組)
なぜ安土の地に信長が城を築いたのか。いろんな作家の創作意欲を刺激し、歴史家が、文献を探求している。それはそれで良い。ただ、430年前と変わらないのは山の姿である。
下に写真を添付した。山の西・北・東は,昭和20年までは琵琶湖であった。この山の姿は、戦い破れて山河ありの言葉のごとく、城のあった当時は、木々で覆われていない。城や城郭・石垣があると想像していただきたい。らくだの背のように真ん中の高いところが天主閣のあったところ。山の高さ100m(海抜199m)の頂に、38mの7層の城が聳えていた。しかも、屋根の瓦には「金箔」が貼られていた。私は、5月の連休には、外堀で「お堀巡り」の田舟の船頭をしている。お客の「信長が本能寺で亡くなった年は?」の質問に、「十五夜に」と覚えていたのを「信長のはいていたパンツは、イチゴパンツ」といった親父ギャグを飛ばしている。
閑話休題。信長の生き方は、様々な作家の創作意欲をかき立てるらしい。それぞれ十人十色。自分の視点でもって色をつけていく。「婆娑羅大名」「茶道」「バテレン」「数寄屋者」「天才的な発想」「比叡山焼き討ちの宗教弾圧」「リーダーシップ論」「鉄砲開発」「楽市楽座の推奨」「経営学」「能狂言」「時代を読む天才」など、図書館に行けば読める。今なら、インターネットで検索してみるのも一方法。このように、信長ブランドは、様々な可能性を秘めているが、それをまちづくりにつなげることができないのが頭の痛いところ。今のところ安土には、宿泊所無し、バス一台入れるレストランなし、喫茶や食堂は3件。土産物売り場も準公共施設1カ所。さて、こうした安土に1万人の住民が住み、「まちづくり」が始まっている。私は、フリーになった今、ふるさと安土を見直そうと里山へ足を運ぶ。健康を兼ねた里山ウオークを1週間に一度する。コースは、安土駅から安土山の北からきぬがさ山(海抜433m)の尾根道を歩く。そして、日本100名城の観音寺城跡のある西国32番札所観音正寺を経て、竜石古墳群を通って安土駅への4時間コースである。
山頂からみた、眺望を見ていただきたい。左に西の湖(琵琶湖の最大の内湖:ラムサール湿地条約締結:西の湖の夕日は最高)北には「大中之湖干拓」が望める。
一度、安土駅からウオークをされては如何かな。案内しますよ。
里山を歩いていると、岐阜・京都・大阪から城ファンに出会う。この景色は、きぬがさ山山頂からのショット。ここでビールを飲むと気分良い。