■ワイワイ談義 (4)―読書三昧 木野和也さん(旧3年6組)
人生のエスカレーターから降りた者には、自分の時間が有り余るほどある。しかし、自由になることは不自由なことでもある。自分の決断と選択を迫られ、結果責任は自分で背負わなくてはならない。小・中・高・大学には、教科書とカリキュラムとチャイムと先生があった。仕事につけば、先輩や顧客、同僚などの眼差しで昇進と評価を求めて働く。時には大きな政治や経済動向で一喜一憂する。しかし、そのエレベーターから降りれば、「粗大ゴミ まだ使えるよ リサイクル」(川柳大賞)のような家内の眼差しを感じざるを得ない。そこには両親やそのどちらかが健在なら、「認知症」「寝たっきり」「車椅子生活」などの介護の課題を突きつけられる。 まさに、「楽老記」「老いのレッスン」「死の準備教育」(アルフォンス・デーケン教授)のいう生き方を考えざるを得ない。私も例外ではない。95歳の母親の介護は心底疲れる。家内はもっと心労がたまる。だから「おっかない」。日々言うことが変わる。基準が日替わりなのである。「あんたは気楽やな!」の言葉にもめげずに「読書三昧」。朝は、「金の時間」で、堅い宗教・哲学・箴言・人生論を30分ごとに読む。よく手にするのは山折哲雄の本。昼は、「銅の時間」で眠たくなるので「軽い小説」や稼業の「提灯張り替え」作業。夕食後は、銀の時間でエッセーや芸術書に目を通す。ベッドに入る時は、必ず「時代小説」―澤田ふじ子・北原亞以子・宇江佐真理などの1小節を子守歌代わりに読まなければ寝られない。以前、山本周五郎・山本一力・藤沢周平は読破。
エッセーでは、吉村昭・山本夏彦・柳田邦男等多彩。こうした本を、週一回、図書館から借りてくる。一回10冊は借りてくる。本を開けて一行で気に入らないと返品。
さて、西村君にこのコーナーを管理してもらってるが、最近、私たち隠居した者の生き方が大きく見直されてきていることを感じる。沢田君のように、「自分史」を書くことにより、新たな学び直しができ共感し、自分に勇気が湧く。人生の先輩として若者に対して、自らの生き方を言葉に出すことによって価値がでているように感じる。これは人生の黄昏の輝きかもしれない。皆さんも一度投稿してみてください。
<解説:ツバメのお宿>安土、西の湖の黄昏風景。実は、今、ツバメが何万羽と葦原に帰ってくるのを見に行った写真。飛ぶのが早くてデジカメでは無理。日野や竜王から群がって帰ってくる。9月には遙かフィリピン方面に帰っていくが、生存は千分1とか・・・。