■実家売買顛末記 2019.4.22 西村
我々同窓生の多くが実家を離れて生活をされているが,その中にも私同様,実家に両親を残してきている人も居る。私の両親は既に亡くなり実家が空き家状態になってしまっていた。全国的に空き家が問題になってきている中,実家の処分をどうしようかと悩んでいる人も居る。そこで,我が家を処分し確定申告も終えたので,その顛末を述べ,これから処分を考えておられる方の参考になればと思った次第である。少々長くなるが,順を追って述べてみよう。
実家を手放す決断
子供の頃を過ごした実家は離れているとは云え懐かしい想い出が一杯ある。定年後直ぐにお袋が亡くなり,空き家になっていたが,車で1時間半ほどなので,裏の畑で野菜を作ったりしながら,ご近所付き合いもできる範囲でしていた。しかし,いつまでも続けることは不可能で,70歳も過ぎたら手放そうと前々から,思って(計画していた?)いた。
今から4年前,お袋の7回忌を実家で済ませた時に,そろそろ実家を手放そうと考えていた頃でもあり,丁度弟妹も来て居たので相談することにした。齢を重ね70歳近くになると,実家に来ることもだんだん億劫になり,元気な今のうちに処分することを持ち掛けた。弟妹も実家を離れ,お墓参りや法事などの行事のあるときに来る程度,「兄貴の判断で処分したらよい」と余り実家に未練は無い口ぶりだった。それで決心がついた。
実際,実家の土地建物は,親父が亡くなったとき(約20年前),長男である私が遺産相続する形を取っていた。したがって,私の独断でも良かったのだが,念のため弟妹の承諾も得ておくことにした。
旧中山道沿いの旧家
我が家の実家は旧中山道の60云番目の宿場町愛知川にある。実家の前の道が中山道で,その道に沿って宿場町が長々と約2qにわたっている。その端には琵琶湖に注ぐ一級河川があり,歌川広重が木曾街道六十九次の一つとして,一級河川の光景を描いている。
宿場町特有の街並みが続いていて,商売しておられる店が連なってはいるが,昨今では賑わいは殆どなく,寂れた街になっている。私の実家のような空き家もあり,商売していた店もシャッターが下りているところも所々に見つかる。実家は典型的な,宿場町の家の構えで,間口が狭く奥に長い家屋である。間口の広さで税金が決まったと云う江戸時代(間口税が導入),間口を狭くする家が多かったようである。
だから私の実家は,5m強しかない間口だが,建坪は約100坪ほどあり,母屋に中庭(前栽)が続き,蔵(土蔵)と物置小屋から成り立っている。裏には畑と約1反の屋敷田がある。屋敷田は親父が亡くなって以来,稲作はやっておらず,空き地として雑草が生い茂っている。この空き地がなかなか厄介な持ち物なのである。
こんな古い家に高校まで生まれ育った私だが,大学から下宿して,さらに社会人になり,一度も実家で暮らすことなく,それ以来ずっと離れている。私の兄弟は,弟妹が居るが共に実家を離れており,暫くは両親二人だけが暮らしていたが,親父が20年ほど前に亡くなり,お袋も亡くなって10年になる。
我が家の状況
私自身,長男であり実家に戻って継ぐことを検討した時期もあったが,仕事の関係上実家から通勤することは困難だったので,大阪に狭いながらも庭付きの一軒家を購入し,場合によっては(定年後など),大阪の家を売って実家へ帰ることも考えていた。
しかし,長年大阪で暮らすと,こちらへの愛着も深まり,且つ友人関係も増え,実家へ戻っても田舎での生活に馴染まなくなって,両親がまだ健在だった時期に,既に実家に戻ることは無いと宣言していた。親父が脳梗塞で倒れたときなど,お袋が付き添っていたが,週末は毎週のように大阪から病院に通い,お袋を休ませることにしていた。弟妹もときには交代してくれていた。
親父が亡くなり,お袋一人で生活をしていたが,だんだん独りでの生活が難しくなり,大阪へ引き取ることも検討し,一時期来阪したこともあったが,なかなか生活に馴染めず,結果,田舎で介護施設にお世話になることになった。それも長くはなく,お袋も亡くなり,実家は空き家になってしまっていた。
空き家になったとはいえ,長男であったこともあり,実家の近所付き合いは続けており,裏の畑で野菜などを作ったりしながら1回/月程度に戻って家を管理していた。それも10年近くになり,大阪から通い続けることにも限界があり,息子の家族も大阪で家を建て,実家を継ぐことも無くなり,いよいよ実家を離れるときがやってきた。
売り家に出す
実家を手放すことに決めたら,じっとしていても何も起こらないので,先ず実家の近くで司法書士をやっている友人に相談し,近くの不動産業者を紹介して貰い,売買の相談に行った。そこで,先ずは隣に買ってもらうのが一番とのことで,不動産業者を通じて実家の実態を見に来られたが,予想に反したのか値段が折り合わなかったのか,商談は不成立だった。
続いて,その不動産業者が実家を取り壊し,裏にある田んぼに,数件の家を建てる青写真を作られ見せられて見積もられた結果,こちらの足元を見られたのか,足が出ないまでも,ほとんどプラスマイナス0に限りなく近く,土地の相場の値段から算出しても割が合わなくお断りした。高く買ってもらうに越したことは無いが,急いで売ってしまわれたと噂されることも耐え難く,総合的な判断だった。
そうは云ってもこちらとしては何とかしたいので,ネット情報など調査していたが,新聞受けの折込のチラシが入っていた中で,大きな不動産業者があり,そこに依頼することに決めた。担当者は親切丁寧で,実家のような旧家を好む人もいるので,相場の土地の値段で価格をつけて,売り出したらとの提案を受け,田んぼの土地の価格は外して,宅地分の時価で売り出すことにした。そうすると,2,3人の人が興味本位で見に来られたが,どうも同じような物件を2,3件比較されているような様子で,見に来られただけで全く話が進まなかった。
そうして1年以上が過ぎ,このままでは周りの空き家もどんどん増え,売却する機会を逃してしまうことを恐れ,思い切って宅地の時価から実家の取り壊し費用を差し引いた額で売り出すことに決めた(以前の不動産業者に取り壊しの費用も算出してもらっていた)。このとき,徐々に金額を下げ,買い手を探す選択もあったが,徐々に下げて行くとまだまだ下がると買い手有利の状況を作り出し,いつまでも売れない危険性もあることを承知していたので,宅地の時価から取り壊し費用を引いた額にすると腹を括った。
母屋は木造の平屋建てだが,古い家で実際には二階にも二部屋増築(私たちが結婚した当時)しており,さらに二階建ての蔵(土蔵)と小屋があり,普通の家の3倍程度の取り壊し費用が掛かる推測だったので,当初の売り出し価格(相場の土地価格)からは半減した価格になった。取り壊して更地にして売り出す方法もあるが,更地にしたからと云って直ぐに買い手が付くような場所柄でもないので,論理的な数値から割り出した価格であり,一見早まって安売りに出されたとの噂が立つかも知れないと思ったが,私としては十分納得できる価格提示だと思っていた。それでも,最初の不動産業者の見積よりは取り分として多かった。
買い手が見つかる
売り出し価格ダウンが効いたのか,買いたいと云う人が現れた。最初の人は,実家のような古民家に興味があり,リフォームして住みやすいようにしたいと,古い家具などはそのまま活用したいとのことだった。実家を取り壊されるよりもそのまま活用して頂く方がこちらも歓迎で,先方も非常に乗り気で,二度にわたり見に来られた。もちろん,他のところと比較されていたのだと想像する。しかし,買い手のリフォームしたい思いが結構大胆で,見積されたようだが,リフォーム費用が予算をかなりオーバーすることが判明し,惜しみながらも断念されることになった。
このような古民家を求め,田舎に住みたいと思っておられる人が居ることを改めて知った。こういう人が我が家に住んで頂けるのであれば大歓迎で,女房共々折角の機会だったのに,何とかならなかったのだろうか,と悔しい思いだけが残った。リフォーム費用が掛かりすぎと云って,実家の売却価格をこれ以上下げる訳にも行かず,新たな人の出現を待つしかなかった。
引き続き,次の買い手が直ぐ現れた。この買い手は小さいながらも不動産業を営まれ,賃貸物件として幾つかのところを扱っておられ,当初の価格のときも一度見に来られていたようであった。後から聞いた話であるが,昔の古い頑丈な木で作られたものに関心が高く,現在ではこのような木を使って自家用の家を建てることは無く,海外から輸入した木材などの新建材が使われ,貴重なものだとのことであった。
また,実家には整理していない物が一杯残っており,そのままの状態で売却するとなれば,その撤去費用を差し引いた価格ダウンで契約したいとのことだった。その方法も一案だったが,撤去費用による減額も予想以上の金額だったので,知人の業者に頼んで,こちらで撤去する方法で落ち着いた。
最終的にどのようにされるかは,買い手側の判断に依るが,一応今の実家をリフォームして賃貸するなどを計画されているとのことだった。とにかく,買い手が決まったことで仮契約を済ませるところまで漕ぎつけ一安心したが,未だ大きな課題が残っていた。
実家の整理
実家の整理は一筋縄では行かず,たいへんな思いをしたので少し詳細に記述する。
要は自分たちがずっと住んでいたならば,何処に何があってと直ぐ分かり必要か不必要かの判断も容易にできるのだが,長年住んでいない実家のことなので,何処に何があるかさえ十分に把握できていない状態での後始末である。勿論,住んでいなかったのだから,必要なものは何も無いと判断すれば簡単ではあるが,少なくとも子供の頃に住んでいたこと,両親がずっと暮らしていたことから,無碍にすべてを廃棄するには忍びなかったと云うのが偽らざる心境である。
@江戸末期から明治時代初期のもの
後始末をしようと大事に残っている品物には,祖母(明治15年生まれ)の代からの物から,両親の使っていた物が殆どであったが,屋敷が広く保管場所に事欠くことは無かったせいか,私が初めて見るような物も多かった。特に,土蔵(倉)の中には,江戸時代からの着物などがタンスの中にしまわれており,男女の着物が次々と出てき,中には紋の入った裃や死に装束と思われる白い着物などが出てきた。
また,土蔵の中には食器戸棚があり,昔は何かと行事があれば自宅で料理を振る舞う習慣から,お膳,茶碗類などが,20人分揃って保管されていた。私の微かな記憶では,こうしたものを使って料理を振る舞ったのは,祖母のお葬式の後の近所の人への振る舞いのときくらいしかない。
A土蔵(倉)の中の品物
土蔵の中にはいろいろなお宝物が残っているとの噂を聞くが,残念ながらお宝物は全く出てこず,要らないものばかりが大量に出てきた。もちろん,土蔵の中にはどんなものが残っているか,大凡は判っていたので,宝物が出現する期待はしていなかった。
長持の中には,祖母の代の布団などが残っており,今の軽い布団とは何倍も重たい布団が幾重ねも出てきた。なぜこんなものが残っているのかと嘆きたくなるが,昔の人は物を大事に扱い,何かのときに役立つからと残し,物を廃棄することは勿体ないことをすると嫌ったものだった。もちろん,保管場所がなかったら素早く処分されているべき不要なものである。
食器棚以外には,引き出物など貰った品物(食器,ナベ,飾り物など)が全く手つかずの状態で保管されており,これらも弟と妹にも使いたいものがあればと見せたが,殆どが不要なものと判断された。ご近所の人にも,紹介して引き取って貰おうとしたが,どの家もこうした物が一杯残っているようで,殆ど引き取り手が無かった。唯一,お袋の使っていた多くの花器(花を生ける器)は,お花を習っていた先生が喜んで利用すると車に一杯積んで持ち帰って戴いた。それと,20個以上も揃っていた湯飲み茶碗やお盆は,近くの集会所で利用すると,当番に当たっていた役員の人が持ち帰られた。
B古美術商に見てもらう
一軒家の旧家で,土蔵まであるとなると,置き場所に困ることは無く,保管するには何不自由なかったと思われる。つまり,モノを捨てることが「もったいない」と思われていた時代から,長年蓄えられた品が残されていたのである。先ず浮かんだのが,宝物は無いにしても,素人判断ではなかなかできないと古美術商に土蔵などの中身をみてもらうことから始めた。最初の古美術商は,鉄瓶など金目になるものが無いかと探されたようで,こうしたものは殆どなく,金額を付けるに値しない判断だった。
それではと丁寧にお断りして,違うところをネットで探した。実家の近くで古道具,アンティークな着物などを扱う店に依頼した。すると,先の古美術商では見向きもされなかった戸棚や古い着物に価値を見出された。戸棚については虫が食っているかどうかが判定ポイントで,虫が食った跡があるものは売れないとのことで,土蔵に眠っていたので虫食いがなく,戸棚は値段がついた。また,着物はよく判らなかったが,絹物の方が高いように思っていたが,絹物は見向きもされず,木綿の女物の着物には値段が付いた。理由は洗い直して売り物になるとのことだった。男物の着物は廃棄対象となった。
古い食器類など古美術商に見てもらったが,値段のつくものは無く,特に足のついたお膳は,今では全く利用価値が無いとのことで,これらも廃棄処分となった。食器棚の中には,大皿などもあり,それらの良さそうなものには少し関心を示されたが,殆どの物は鑑定外で,鉄瓶などが無いかと探されていたが,かろうじて1個出てきた程度であった。それでも,ある程度納得のできる取引ができた。
こうしたことから,古美術商にも各々特色があって,扱うものが一致しないと価値を見出されないことがよく分かった。もちろん,もっと価値を見出してくれるところもあったかもしれないが,こちらがそこそこ納得できれば取引するのが良いのではなかろうか?
C行政を利用した廃棄方法
大量の布団については廃棄業者も処分を嫌がり,行政で布団を処理してくれることを知り,町役場へ申請して,乗用車で処理場へ運び込んだ。土蔵の中の布団,両親の代のときの布団,我々と弟妹の家族が実家に戻ったときに利用した布団など,家中の布団と毛布を合わせると100枚弱にも及び,少しでも運びやすく嵩を小さくするため圧縮して,数週間(週に1日且つ1回に捨てる枚数制限があり)に亘って,数回処理場へ運ぶ方法を取った。
また,ベッド,マッサージ器やソファーなど,これらも廃棄業者としては手間の掛かるもので,行政が粗大ゴミとして,自宅へ回収しにきてくれる方法があり,これらを利用する方法を取り,廃棄業者の廃棄量を減らす努力をした。もちろん,定期的に行われている,燃えるゴミ,燃えないゴミを分別して指定の袋に入れて指定場所に出すことはもちろん,指定の籠に入れて決められた指定日に回収(ガレキ,ガラスなど)なども大いに利用させてもらった。
住んでおれば,徐々に廃棄量を減らすことはできたが,誰も住んでいない状況で,こうした廃棄処分をすることはたいへんなことだった。もちろん,お隣が何かとお世話になっている良い方で,廃棄処理の助言や提出のご協力などを受けることになり,大変感謝している。
D環境問題があり廃棄処理が高額
昨今は環境問題があり,廃棄する物の処理が昔のように簡単にはできなくなってきており,そのため廃棄のために要する費用が高くなってきているとのことである。一番身近な例は,実家では昔は紙くずなど裏の畑で燃やしても誰も苦情を云う人は居なかった。ところが昨今はこうした行為が規制され,実家の裏の広い田んぼの中で僅かな紙を燃やしても通報する人が居て,行政が飛んできて指導を行うと云う有様である。
とにかく,昔とちがって,先ずは廃棄物の区分が厳密になり,それも行政によって定義が違っていることが多く,その土地での廃棄処分の方法に従わなくてはならない。当然,廃棄業者は産業廃棄物としての扱いで,家庭ゴミとは違った廃棄額が設定されており,我々素人にはよく判らないほどの高額だそうである。もちろん,我々個人で総て廃棄処理ができるわけではないので,専門業者に頼らざるを得ないのだが,これが目を疑うような価格なのである。
特に滋賀県では琵琶湖があり,環境規制も特に厳しく,県内では廃棄できず,他県の廃棄処理場に頼っている部分もあるやに聞く。もちろん,人体に被害を及ぼす環境問題を起こすようなことがあってはならないが,何か余りにも規制規制と言い過ぎではないかとも感じてしまうのは私だけだろうか?安心で快適に暮らせるバランスが採れる点がないだろうか?
E論理的な話が通じない世界
今回一番頭を悩ましたのは,廃棄処理をする業者とのやりとりで,一般常識と思われる論理的な話がなかなか通じないことだった。知人の紹介だったので信用はしていたが,見積が結構高額だったので,最終価格を見積額より抑えたいと考え自分たちでできることは,行政の廃棄手段を大いに活用し,業者が廃棄される量を減らしたつもりだったが,結果的には最終価格としては自分たちの努力は全く報いられなかった。
見積段階で予測の廃棄量が出ていたので,少しでも減らして見積価格より下げて貰おうといろいろ努力をしたのだが,我々素人には正確な廃棄量の把握は困難であった。当初は,コンテナを利用して,そのコンテナの数量で廃棄量が判る予定だったが,コンテナを利用するのが困難で,2トントラックに直接積み込んで,各々の廃棄内容物によって廃棄処理場へ運ばれる方法が取られた。安くする方法だと理解したが,そもそも誤りだったようである。
こうなると廃棄量がカウントできず,運び出しが何回かは判っても,廃棄量そのものが判らず,相手を信用して任せるしか方法がなかった。もちろん,廃棄物による廃棄量,その回数を出して貰って確認することは可能だったが,例えそうして詳細を出して貰っても,こちらでそれを正確に検証する手段がなく,そうした一見正確そうな結果の数字を出されても,結果的にはその数字を信用するしかできないので,諦めざるを得なかった。実際,廃棄処理の実態を具に見ていたが,私たちが思っていた以上の廃棄量が出てきたことも事実だった。
丼勘定と云うと言い方は悪いが,私が経験してきた仕事の世界とは全く異なった世界だと感じられてならなかった。要は,論理的で数値化された勘定が成り立つ世界と,論理的な表現をした勘定をするのが困難な世界(敢えてできないことは無いが,素人には正確な判断できない)との違いをまざまざと見せつけられた。もちろん,とんでもない価格をふっかけて来られても,そのやり方が永続的に認められる保証はなく,余程あくどい業者の場合を除いてそうしたことは無いと思われるが,素人にはすんなり理解ができないものだった。
後で聞いた話では,こうした仕事は相見積を取って,比較検討しないととんでもないケースも出てくるとのことであった。知人の紹介など,信用がおけるところに依頼するのが良いが,そうした今回のケースを通じてでも,私たち素人にはなかなか素直に納得できないことがあったのである。廃棄処理される業者が総てだとは思わないが,期待を裏切られる後味の悪い結果となったのである。
この実家の整理に述べ27人(約2週間余り)も要し,費用的にもかなりの高額になったことは言うまでもない。
登記上の諸問題
実家など固定資産の売却には,登記上の手続きが不可欠である。もちろん,素人ができる範疇を超えており,司法書士に委託しなければならない。我が家の実家のケースでは,私が相続した直後だったが,隣の家と土地の地番が逆さに登録されているとの情報で,隣と共同して番地の入れ替え申請を司法書士にやってもらった経験があった。
今回の売却にあたっては仲介の不動産業の担当者が登記上の問題が無いか確認をされたようである。そうすると,幾つかの問題が浮かび上がってきた。一つは実家の土地の中を水路が走っていることになっているとのことだった。私の子供の頃には既に水路は無く,水を流す程度の小さな溝はあったか?との記憶しかない。厳密に測量し直すなどすれば,相当な費用が発生する可能性が高いとのことだが,実質上水路は無く,買い手側の了解を得てそのままにすることで決着した。
もう一つは,二軒隣の家の登録が土地の番地が我が家の実家の番地とダブっている(二つの番地が登録されていた)ことだった。当初は,我が家の建物が二軒隣の登記上のものではないかとの嫌疑をかけられたが,登記簿をみると明らかに大きさが異なっており,二軒隣の以前の建物が滅失届を出されていないことが判明し,滅失届を出してもらうことで決着した。
通常住んでいる段には,きっちり固定資産を払っておれば何の問題もないことが,こと売買に絡んでくると,いろいろな問題が噴出してくるものである。私の場合,実家の固定資産はすべて私が相続していたので,弟妹に承認をもらうなどの手続きは無くて済んだが,相続が完了しない状態で売買となると,また違った問題が噴出することになろう。
周辺との諸問題
実家周辺との問題も,売買が絡むと出てくるものがある。私の場合,空き家にしていたとはいえ,近所づきあいはそこそこ丁寧に行っていた。お袋が亡くなっても暫くは町会費を収めたり,檀家などの必要経費は支払うなどしていた。また,裏にある田んぼは雑草が茂るので,定期的に草刈りを依頼したり,前栽の木々も伸びるので,これは毎年ではなく,2年に1回は葉狩をしてもらうなど,近所に迷惑を掛けないように心がけてきたつもりである。しかし,なかなか目は行き届かず,私たちの知らないところで迷惑を掛けてしまっていたこともあったのだろう。
近所付き合いは良好にしてきたつもりでも,いざ裏の屋敷田を売るとなると違った問題が出てきた。実家の売買は旧家だけでなく裏にある屋敷田(約1反)も一緒に売却することにしていた。田んぼの売買には規制が掛けられており,一定以上の田んぼを有する農家であれば田んぼとして無条件に売買できるが,それ以外への売買には,農地を転用する手続きが必要で,政策として農地を容易に減らすことができないようになっている。つまり,農地を転用するに当たっては,使う目的を明確にした計画があって,それを関係する農業委員会で認めてもらうことが売買契約の条件になっている。
また,農業委員会への申請にあたっては,隣接する畑地の所有者の承認印が必要とのことで,これは買い手側にやっていただいた。私の実家の田んぼの転用にあたっては,農業委員会が認められる要件としては,ソーラーを設置することが一番可能性が高いものだった。駐車場としての利用は奥まった車の出入りが困難な場所にあって現実味がなく,材料置き場などの利用も困難なことからソーラー設置として申請されることになったが,隣接する畑地の所有者から,容易にハンコを押さないとのクレームが付いた。
要は,ソーラーに依る畑地の農作物への影響である。出て行く者と残る者では見解が異なるのは当然であるが,いろいろな人が居て普段は何気ない付き合いをしていても,いざというときになるとクレームを言いたくなる人もいる。そうしたことから,ソーラー設置の大まかな概略を買い手側から,隣接の畑地所有者に説明することもすることになった。影響は近隣の方もあると,関係者全員を集めて説明を要求されたが,町内会の総代さんの判断で,大げさにすることなく,畑地所有者への説明で終わった。もちろん,具体的な設置に当たっては,詳細なことについて改めて関係者に集まってもらって説明会を開くことになった。農地転用の承認印をもらうだけにも一苦労があったのである。
最終段階
農地転用について農業委員会の承認が下りると,その後は早かった。もちろん,仲介の不動産が年度内に契約を済ませたいとの思いも強かったように感じている。元々,1月末に契約完了との話でスタートしたので,こちらとしては冬の一番寒い時期に家財の整理を済ませなければならず大変な思いだったのだが,農地転用のゴタゴタがあって,農業委員会の認可が延びてしまい,3月末の年度末に完了させるとの運びだったので,こちらはすっかり3月末の引渡を予測していた。
どのような経緯かははっきりしないが,農業委員会の認可が下りるや否や,契約完了,引渡の日程調整とトントンとことが運び,こちらがややのんびり構えていたので,最後は少々慌てた。最終契約の日取りが決まり,こちらとして一旦引き渡してしまえば,それ以降はなかなか足が向かなくなるので,引渡までに永年お世話になったご近所への挨拶など,段取りを考えて行動することになった。
いざ,引き渡すとなると,これまでのご近所ともなかなか顔を合わすことも無くなるので,女房と二人して,両隣,向かいなど数軒に,お世話になったお礼に伺った。私たちは住んでは居なかったが,私の両親がいろいろ近所付き合いをしていたので,親切に,名残を惜しむようにお別れをした。
最終の契約は,買い手側の取引のある金融機関で行われた。司法書士が立ち会い,登記に纏わる処理の手続き,それに続き,契約金の支払い及び諸経費の支払いなど済ませ,カギを相手側へ渡し,明け渡しの立ち会いは省略された。特に,土蔵のカギは時代劇に出てくるような房の付いた立派なもので,私など一度も使ったことが無いものだったが,立会人始め,買い手側の業者もこんなカギを渡されるのは初めての経験だと驚いておられた。
売買の反省
買い手が決まり仮契約をして,約5カ月で契約完了,引渡となったが,今後,同じようなことをやらねばならない方へ反省点を述べてみる。一番問題なのは,家財道具の後始末である。我が家の場合,農地転用と云う問題があったので,やや時間は掛かったが,一旦買い手が付くと,時間的な余裕は無いので,家財道具の整理は予め進めておいた方が良い。
ただ,私の場合がそうだったように,買い手が付かないとなかなかその気になれず,決まったら一気に片付けると思っておられる人も多いと思う。しかし,整理ができるものは,予め進めておいた方が金額的には安くつく。特に,今回知ったのは,行政機関を有効利用することである。一切合切,整理業者に任せると云うのも一つの方法だが,家庭用ゴミでの処理と,産業廃棄物としての処理では同じゴミでも費用が数倍高く付く。
つまり,自分たちで処理できるものは,予め,行政機関を有効利用することである。例えば,ふとん,ガレキ,金属類,大型ゴミなどは行政機関の処理場へ持ち込むことができるし,タンス,ソファーやベッドなど自分で運ぶことが困難なものは,指定された手続きをすれば取りに来て処理してくれるサービスもある。こうした,行政の環境課などのサービスを有効利用することをお勧めする。
以下,1年後の確定申告である。
確定申告
実家を売買し,僅かながらも利益があったので,確定申告して納税しなければならない。税理士など専門家に任せるのも良いが,僅かの利益しかないのに,更に専門家に手数料を払うこともあるまい,と自分で申告することにした。これまで,毎年確定申告はしているので,それほど難しいことは無いが,一般の年金などの収入を申告する申告書Aではなく,譲渡取得があるので,分離課税用の申告書を用いた申告書Bでの申請となる。
つまりこれまでの申告書Aでは,第1表と第2表(明細を示すもの)で済んだが,分離課税用の第3表が必要となる。しかも,第3表を作成するに当たっては,その基となる譲渡所得の内訳書なるものが必要となる。これは国税庁のホームページから容易に取得できる。譲渡した内容を指示通りに記載すればよいので,それほど難しいものではない(下に詳細説明する)。
これを基に,分離課税用の申告書を作成し税金の計算をするが,この際に年金収入分などを計算した申告書Bの第一表と連携させ,課税される所得金額を移し替え,各々の税額を計算する必要がある。この部分が少し煩雑でややこしいが,解説書通りにすればよく,誰でもできる内容である。
この税金の計算を申告書Bの税金の計算に戻して,納付する税金額を算出すればできあがりである。
実家を売買するに当たっての特典
実家の売買では,通常では保有期間が5年超の「長期譲渡所得」が適用され,譲渡所得額の20%が税金として徴収されることになる。(その他,保有期間が5年以下は「短期譲渡所得」として,39%が税額となる。保有期間とは相続人ではなく,被相続人の取得からの期間)
私のように,実家を相続したものの自らが住んでいない場合が多いと思われる。この場合,相続開始から3年以内に売却すれば,3000万円が控除される(つまり譲渡所得が3000万円以下なら課税されない)。今のところ,この特例は平成31年12月31日までの譲渡と云う条件が付いている。両親が亡くなって,家や土地を相続して,利用する見込みが無いなら,早めに処分した方が税金は少なく済むと云うことである。
私の場合,相続して10年以上経っており,住んでもいないので,この特典を受けられなかった。
譲渡所得の内訳書の記載に当たって
譲渡所得の計算は,次式で示される。
●収入金額−(取得費+譲渡費用)=譲渡所得
この譲渡所得に税金が掛かり,長期譲渡(20%)又は,短期譲渡(39%)によって違いが出る。
○取得費
取得費とは,取得した金額ではなく,そこから償却費相当額を引く。
●建物の取得価格×0.9×償却率×経過年数=償却費相当額
(償却率は木造,鉄筋で異なる償却率が定められている)
取得金額は我が家のように,旧家で取得金額が不明な場合があるが,この場合,概算取得費用控除の特例として,譲渡価格の5%相当額を取得費とすることができる。
他に取得費としては,通常の修繕費・維持管理費は計上できないが,リフォーム代は認められ,我が家の場合,水洗トイレ(下水道工事)代,屋根の葺き替え費用は認められた。(但し,この場合も,そのままの金額ではなく,償却費を引いた金額である。)したがって,通常一般の修繕や管理などの費用ではなく,大きな修理(リフォームなど)については,取得費に合算できるので,領収書などを保管しておくのがよい。
○譲渡費用
譲渡費用として認められるのは次のようなものである。
仲介手数料 収入印紙代 登記手数料 譲渡に掛かった費用 買い主との交渉の交通費・通信費
譲渡に掛かった費用として,我が家の場合,買い主の要求による家財一式の処分費用(これが一番大きかった)や,家財処分をするために自宅から実家への交通費(高速代+ガソリン代)は,譲渡に要した費用として申請し認められた。こうした費用に関する領収書もきっちり保管しておくことが肝要である。
確定申告の提出
最初で最後の譲渡所得の内訳書を利用した確定申告で,未知のことも多かったが,それほど苦労もせずに無事申請,認定してもらった。(初めての経験だったので,念のため事前に税務相談を受けたが,完璧な内容で何一つ手直しするところはなかった)
これで実家の売買に関する手続きが一切完了した。
*新たに墓じまいに関しての記事を追加しましたので,興味のある方は併せてお読みください。(2022.09.05)