■最近物忘れが多くなって・・と云う方へ

我々の年代になると,「歳をとったから最近物忘れが多くなって」「若いときのように記憶力がなくなって・・」と嘆いている方が多い。そこで,今回はそういった方に朗報な話題がありましたのでお届けします。ひょっとして脳科学の専門の同窓生がおられることも顧みず,気に入った話題だったので,何冊かの本を読んでみました。読んだ本は最後に,参考図書として掲載しました。

記憶力は鍛えれば鍛えるほど良くなる

「歳をとれば記憶力は低下する」は,最近の科学では迷信にすぎないことが判っている。脳は使い方次第で,年齢とは無関係にいくらでも鍛えられる,と云うのである。

まずは,大人と子供では記憶量が違う。100個の中から1個を見つけ出すのと,10000個の中から1個を見つけ出すのでは自ずと労力が違う。これは大容量になった宿命である。それともう一つ,子供と大人の記憶力の決定的な違いは,「情熱の強さ」と「復習の回数」にある。子供のときの集中力と,大人になった情熱や執着心が薄れてきた状態との差は歴然とある。子供も忘れることがあっても気にしないのと,大人は「歳のせいかも」と自己暗示を掛けてしまっていることも記憶の妨げの一つである。

  〜思い当たる節はありませんか?

脳細胞の10%しか人間は使っていない

脳の神経細胞は,増殖する能力がない。つまり歳と共に減っていくばかりである。しかし,実際に人が意識的に活用できるものはほんの10%にも満たないので,それほど気にすることではない。ただ唯一脳の神経細胞の中で,使って鍛えれば増殖する部分がある。これが「海馬」と呼ばれる,大脳皮質の内側にある部分である。30年間で3%も膨らんでいる,神経細胞に換算すると何と20%も増えている人が居ることが新たに判ってきている。このことは,「神経細胞の数は歳をとるにつれて減る一方で増えることはない」とされていたので,驚くべき新事実である。

脳の仕組みの解明は,未だ発展途上で徐々に新たな解明がされている段階である。増殖すると云われている「海馬」の神経細胞は大凡1000万個で,人の脳全体の神経細胞1000億個からは,極限られた一部でしかないことがわかる。

記憶のメカニズム

記憶を司っているのが「海馬」と呼ばれるものである。最近の脳科学の研究で脳を鍛えると,海馬の神経細胞の数が増えることが判ってきた。(逆に,海馬を除去した人の記憶力が無くなったことからも明らかになった)

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海馬の神経細胞を増やす最も効果的な方法は,海馬をよく使うことである。そのためには,先ず何事にも興味を持つことが重要な第一ステップである。歳とともに,物事に対する情熱が薄れ,熱中することがなく,感動も薄くなってくる。こうしたことは,記憶力を低下させることになる。休みの日に自宅でゴロゴロなにもしないでいる人は,当に記憶力を低下させていることに他ならない。

「短期記憶」と「長期記憶」

脳科学では,30秒から長くても数分程度の記憶を「短期記憶」と云い,それよりも長い記憶を「長期記憶」と云う。この「短期記憶」では,記憶できるのはせいぜい7個程度である。電話番号の10桁をそのまま覚えるのではなく,ハイフンで区切って覚えるが,これらは専門用語で「チャンク化」と云う,高度な記憶術である。

「長期記憶」には,「エピソード記憶」と「意味記憶」があるが,さらに,身体で記憶している「手続き記憶」(方法記憶)と「プライミング記憶」(勘違い,サブリミナル効果など)とがあり,意識が介入しない抽象的な記憶を「潜在記憶」,自分の経験が付随して意識にのぼる記憶のことを「顕在記憶」と云い,子供から大人になるにつれて,下から上へと発達していく。逆に,歳をとると上から記憶力が衰えてくる。

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海馬ではこれらの記憶を保存しているのではなく,記憶が留まっている期間はせいぜい1カ月程度である。その時期を過ぎると,記憶は他の場所(側頭葉)に移り,そこで長期間保存される。つまり,海馬では記憶すべきものを取捨選択しているのである。

脳の仕組みを理解すると頭がよくなるコツが掴めそうである

脳はよくコンピュータと比較される。最近はコンピュータの発達でスピードが上がることで処理能力が上がり,だんだん脳の働きに近くなりつつある。しかし,根本的な違いは,コンピュータは決められたアドレスに整然と記憶されることで,処理スピードとメモリ容量が増えることで性能が上がる。しかし,脳は限られた神経細胞数である。その細胞が,「シナプス」と呼ばれる部分で結合されて情報をやりとりする。電気回路との違いは,完全に接続されているのではなく途切れており,シナプスの間隙を活動電位が伝達すると云う。この電位の強弱で伝達が決まり,つまりここで神経細胞が「考える」のである。

また,脳の神経細胞はあるきっかけで変化を起こすとそのまま保ち続ける性質があり,これを「脳の可塑性」と呼び,神経細胞のつながりが変化することが記憶する正体である。しかし,コンピュータと違い,限られた神経細胞で記憶量に制限があり,いろいろなものが雑居した状態で記憶され,それらが相互作用を起こすことがある。これが記憶が曖昧になる原因の一つであり,一方,新たなものを創造することにもなり,この性質が「人間性」なのである。

シナプスを高い周波数で刺激すると,シナプスの伝達の効率は上昇し,長時間持続する。この現象を「長期増強」(Long-term potentiation)と名付け,頭文字を採って「LTP」と呼ばれている。このLTPは情報を,「より強く」そして「より早く」伝える現象をしめし,「記憶する」メカニズムである。海馬のシナプスにある受容体がカルシウムイオンで,シナプス電位が左右されることが判ってきている。

  〜ここの話はややこしい。気にせず跳ばしてもらっても。興味ある方は,参考図書を。

科学的に記憶力を鍛える

「歳のせいで覚えが悪い」と嘆くのは大きな間違いで,年齢と共に記憶の種類が変わるだけで,若い頃の丸暗記ではなく,エピソード記憶と言われる論理だった記憶に変わるのである。したがって,刺激の多い環境にすれば,LTPにとって都合がよく,脳が活発に作用する。そして記憶力がつけば,さらに興味を持つと云う良い循環が生まれる。つまり,脳は年齢には関係なく,使えば使うほどさらにつかえるようになるのである。「歳をとって・・」と嘆いている人には極めて朗報である。

記憶には,@何にでも興味を持つ「好奇心」,「探求心」が大切なビタミンでありA目の記憶よりも耳の記憶が心に残るため,声を出したり,人に説明したりすると記憶が高まると云われている。また,繰り返すことで記憶が高まることが知られており,それは海馬で情報を記憶するかどうかのふるいに掛ける期間が長くても1カ月と云われているため,B1カ月以内に復習することで,その情報が「記憶されるもの」になる。

また睡眠には浅い眠り(レム睡眠)と深い眠り(非レム睡眠)とがあり,これを繰り返している。この中で人が夢を見るのは,レム睡眠の期間である。これは,新しい情報が入ってこない状態で,記憶の整理をしている期間で,C十分睡眠を取ること(6時間以上)が記憶を高めるのに必要との研究成果もある。

また勉強量と成績の関係でも,記憶が相乗作用を生むことから,べき乗効果で幾何級数で増えていく。何故かと云うと,Aを記憶したところに,Bを記憶すると,AとBの記憶だけでなく,「Aから見たB」,「Bから見たA」と云った内容も記憶される。つまり,記憶の量は,1,2,4,8,16,32,64,・・と。頑張って64まで行った人が,1000の人を見ると,才能のレベルが違うように感じる。しかし,この幾何級数的な増え方を理解しておれば(64,128,256,512,1024と増えていく),後4段階だけの差であり,Dもう少し継続して努力すれば到達できるのである。

以上のような科学的な根拠を正しく理解すれば,記憶力は鍛えられるのである。ポイントを整理すると,

1.反復を繰り返すこと

神経細胞どうしの接点を「シナプス」と云うが,最近の脳科学の進歩で,記憶の実体はシナプス結合の強さであることが判ってきている。神経細胞を繰り返し繰り返し刺激するとこのシナプスの結びつきが強くなることが証明されている。要するに,記憶とは繰り返し海馬を刺激することによって作られる。

そのためには「復習」をすることであり,この復習も,海馬が情報をふるいに掛ける吟味期間が長くて1カ月なので,この期間に復習することが効果的と云われている。

2.十分睡眠をとること

睡眠もまた学習の一部であって,外部情報がシャットアウトされた「睡眠」状態は,情報の整理に集中できる時間である。コンピュータのスキャンデスクをやっている状態である。つまり,十分な睡眠,6−8時間の睡眠時間をとることも記憶力を高めることになるのである。

3.脳を使うこと−−「理論的記憶」を(記憶の方法を変える)

歳をとっても記憶力が全くかわらないかと云うとそうではない。年齢と共に記憶の種類が変わって行く。つまり,子供の時の暗記する記憶は「知識記憶」と云い,大人になって神経回路が精密になってくると,物事に関連づけて記憶する「理論的な記憶」が得意になってくる。つまり,「歳と共に記憶力が低下する」のではなく,「記憶の種類が変わる」ことである。

4.「人に説明してみる」

脳に効果的な練習は,学習したことを「人に説明してみる」ことである。これは,他人に説明することで単なる知識が自分の経験に変わり,記憶されやすくなる。何よりも説明することは,復習効果をもたらす。その上,説明するとき声を出すので,より多くの感覚情報が海馬を強く刺激することになる。

〜今更,頭が良くなっても・・

曖昧な記憶

人間の記憶はコンピュータと違って曖昧なものである。しかし,この曖昧な記憶が重要なのである。それは,コンピュータのように厳格な記憶になると,例えば人の顔を覚える場合でも,僅かな違いがあればコンピュータでは違うと判定する。手書きの文字の認識でも,コンピュータでは最近でこそ認識率が上がってきているが,その認識度は人間の比ではない。

これは脳の記憶ができるだけ共通項を求めて記憶しようとしている点である。このことにより,多少その日によって表情が違っても同一人物と判定できるし,手書きも文字も殆ど判読できるのである。この曖昧な記憶が,人間の臨機応変な対応力の源になっている。「記憶が曖昧で・・」と嘆くことはないのである。そもそも人間の脳はそういった仕組みになっているのである。

  〜安心してください。曖昧な物覚えを心配することはありません。

脳を活性化する薬はあるが・・

さらに,「何とか記憶力をもっと上げたい」と思っている方には,朗報がある。「記憶力増強薬」の一つはコーヒーの成分のカフェインである。これは,多少の効果はあるようである。また,受容体にカルシウムイオンが流れやすくすれば,記憶力が増強できる仮説のもとで,そうした薬も発見されている。ただ,脳へ直接注入しなければならないそうで今のところ実用化されていない。また,あの猛毒の「サリン」は記憶力を増大させる作用を持っているのである。事実,「サリン事件」の患者で本人が思い出すことを止めようとしても,次々記憶が沸き上がってきて,過去の記憶に苦しめられたと云った報告がある。

一方,アルツハイマー病も多くの年寄りがかかる病気で,脳が萎縮して記憶ができなくなってしまう。しかし,実際には脳が萎縮してしまっているのは結果であって,アルツハイマー病のなりかけは,脳の萎縮ではなく,βアミロイドが蓄積されるとこの毒で神経細胞が死んでしまうことが判っている。このβアミロイドを分解する薬ができることによって,アルツハイマー病に効く薬ができている。その一つは,ワクチンで予め抗体を作ってやる方法である。もう一つの方法は,死にやすい神経細胞は「アセチルコリン」と云う神経伝達物質が減ってしまうことに着目して,この「アセチルコリン」壊す原因を突き止め,壊すことを抑制する薬が見つかって1999年から発売されている。このように年々,脳科学の発達が続けられている。

脳科学の未来では,記憶のメカニズムの解明が進んできたが,「記憶の再生」については殆ど解明していないそうである。また,「海馬」は医療現場では手に負えない厄介な存在で,疾患の病巣になりやすいそうである。

池谷さんは論文の中で以下のように書いている。「生体は海馬という神経組織に対してとりわけ高度な可塑性を認可し,また,そのために海馬のみに用意周到な機構を与えている。裏を返せば,この理由で,海馬は疾患という病理レベルに最も近い神経組織になってしまった。・・・」

  〜我々の老いた時代には,特効薬ができているかも・・

 

この歳で,今更記憶力が良くなっても仕方がない,と考えずに,やがて来る年老いてからボケないように,今から鍛えておくことはムダなことではありません。

 

参考図書

「記憶力を強くする」(2001 講談社 BB)    −30歳の若さでブルーバックスの著者,脳科学を判りやすく解説

「進化しすぎた脳」 (2004 朝日出版社)     −NYで高校生相手に10時間の講義形式,最新の脳科学を解説

「海馬」(2002 朝日出版社,2005 新潮文庫)  −糸井重里氏との対談形式

*脳科学を理解したい人には「記憶力を強くする」がお勧め。残り2冊は,簡単に読める。最新情報は,「進化しすぎた脳」

参考雑誌 : Think! No.13 プロの仕事力(東洋新報社)

この話に興味を持たれた方は,池谷裕二さんのホームページをご覧ください。

 

[2005.08.08 Reported by 「金亀一三会」システム担当  Hitoshi Nishimura