■「吉田調書」〜福島第一原子力発電所事故〜 を読んで
2014年9月11日に公開された政府事故調査・検証委員会の報告書を読んでみた。マスコミの報道で大まかな内容は皆さんもご理解されていると思われるが,実際の報告書がどのようなものか,技術者の一人として関心があり,大半を読んでみた。「失敗学」の権威である畑村教授や事故調査をいろいろやられている柳田氏が事故調査委員であり関心があった。当時の官邸の人々へのヒヤリングが数100ページに及び,さらに吉田氏への事情調書だけでも400ページにも及ぶもので,余りにも膨大でザーッと読み切れるものでもなかったが,何とか読み切ったので,その感想含めて述べてみよう。
先ず第一に公開の内容全般を見渡して感じたことは,政府関係者10数名など多くの人へのヒヤリング結果が公開されているが,東電は吉田所長だけであり,原子力委員会,保安院などへのヒヤリングも公開されていない。その理由はよく判らないが,公開に同意されていないからかも知れない。やや片手落ちの公開で,このままであれば,如何に東電の対応が悪かったとの印象は拭えない。実際に対応が拙かったことは事実だが,その真実は語られていない。
●吉田所長(当時)
吉田氏への調書は膨大
吉田調書のメインはやはり吉田所長へのヒアリングであり,関心も一番高い。全文を読み切った第一印象は,技術者の私でも,原子力に関する技術的な質疑応答が多く,文字を拾って読んでも理解できない部分が結構ある。質問者もかなり原子力に精通した人のようで,原子力発電の原理,構造,不具合に対する対応策など技術面の追究が結構多い。一般の人が読んでも,原子力発電に関する知識がないと相当手強い内容である。
技術面のやり取りはやや読み飛ばしの感は否めないが,事故直後からの吉田所長の対応はヒシヒシと伝わってくるものがある。例えば,地震発生から津波が来るまでの切迫した対応状況や,津波が到来したことも中から外が見えず直ぐには判らない状況,その中で刻々入ってくる情報,全交流電源の喪失で非常用のディーゼル発電機が使えなくなったときの悲壮感が伝わってくる。全く,想定外の出来事だったようである。
原子炉の圧力と水位
事故直後から,吉田所長が何にも増して気にされていたものが,原子炉内の減圧と注水である。吉田所長ご自身も反省されているが,水位計が狂っていたことが当初は判っていなかった。水位計がまだ水位があることを示していることから,一番気にはされていたが炉心の熔融は無いとふんでおられたようである。IC(アイソレータ・コンデンサ:非常用復水器)が動いているものと思い込みがあったと反省されている。水位計には水があるようになっているにも拘わらず,線量が上がってくることに疑問を抱き,随分経ってからICが働かず炉心が十分冷やされていないことに気づかれたようである。現場の第一線で大混乱の状況の中では,誰も責めることはできない。
ベントの必要性を感じ,バルブを開ければよいとの軽い気持だったようだが,開けようとするには電源が無く,手動で開けねばならず,線量が高い中で,しかも暗闇で困難を極めていた。にも拘わらず,官邸や本店では遅いとか,何をしているんだとか,やきもきしながら,現場の対応の遅さに苛立ちが走っていたようである。現場を知らない人の安易な考えに,吉田所長は後から腹立たしく感じられている。現場の統率を取っている人がベントなど,最良策を一生懸命講じている苦労が蔑ろにされてしまっている。
水素爆発の発生
その当時,現場では炉心の熔融から水素が発生し,容器が爆発することを一番恐れ,そのため注水を懸命に行い,ベントの処置もされようとしていたが,まさか建屋が爆発するとは誰も考えていなかったようである。実際,爆発が起こったときも現場では,また地震が来た程度に感じられていたようである。水素が充満していることを知らせる計器もなく,全くの不意を突かれたようである。
その当時の情報手段も,人から人への伝達で,統率本部へ情報が入るまでには大分時間が掛かったようである。現場の最前線で電話も無く,混乱状態の中で必要な情報を素早く採り入れる努力をされていることは伺い知ることはできるが,精一杯のことだったのだろう。現場の情報がこのような状態であり,まして官邸や本店に正確な情報が届くには時間を要したことは容易に判る。
数少ない現場の人でのやりくりのたいへんさはヒシヒシと伝わってくるが,消防やレスキューなど外部の応援部隊の努力もあったのだろうが,実際現場で指揮命令されていた吉田所長の感想は,どれも役に立たなかったとのことである。現場の作業員など原子力発電所の様子を熟知している人々は,生死の覚悟をしながら必要な対処方法を自らが取られている。それに引き換え,外部のレスキューの人々は,線量の高さから被爆を恐れ,現場に近づこうとすることを極力回避されている。
現場の状況がよく判らない人に取っては,被爆の恐ろしさが先ず頭に浮かぶだろう。それは当然のことである。しかし,現場の指揮者が求めているのは,必要なものを必要なところへ持ってきてくれることであり,それを現場の作業員が取りに行かないといけない状況での手助けは,手助けになっていないのである。頼りになったの現場の作業員だけだったようである。
吉田所長の当時の現場の過酷な状況は,ヒヤリングの中の話の節々に出てくるが,それだけに本店や官邸の現場を知らない,岡目八目とまでは行かないまでも,現場感の乏しい対応には,情報が十分入って来ない中でのやりとりとは云え,腹立たしい思いがするのは私だけではないだろう。
事前の地震・津波対策について
よく云われている地震・津波の件で,「貞観の地震・津波」があり,これらについて,以前にどれだけ検討されていたか,ヒヤリングされている部分がある。
そこでの検討では,土木学会などでは,当時の津波は福島では3,4mであり,防波堤も現在の6mで十分とみなされている。一方,理論計算上では10mを超える津波が押し寄せる危険性はぬぐい去ることはできず,これの検討もされたが,東電の原子力発電所だけの対策では,防波堤を沖合に作る必要があり,反って周辺住民に被害を拡大する危険性を伴い,日本として検討するべきだとの認識だったようである。
今回のような地震・津波に対する対策は,確かに原子力発電所として不十分な点は認めなければいけないが,1000年に一度来るか来ないか,と云うようなレベルの危険に対して,如何なる予防策が適切かは十分考えさせられる内容である。もちろん,対策が容易にできるものなら誰も迷いはないが,やはりある程度の費用対効果,人の命には代えられないとは云うものの,現実の問題としては出てくるのではなかろうか?
ただ,国を滅ぼしてしまうような危険を伴うと云えば,費用云々の話ではなくなるだろう。今回の教訓がどれほど活かされるか,それらを判断するのは,当に貴方自身なのである。
調書の中には出てくるが,保安院は何の役割を果たしていたのだろうか?安全基準を決めたり,その遵守を見守ったりする役割なのかも知れないが,こうした今回の事故に対しては,自分たちには全く責任の無い,当事者意識の全くない役所であるように映る。関係者に意見を聞いて,指示命令をするが,それ以上は何も責任を感じていない。文化系の人間でよく判らないなどとの逃げ口上は言語道断である。
吉田所長の部分(吉田調書)を読み終えて
実に長い調書であるが,一部分のヒヤリングは,吉田所長の記憶を定かにするために,当時の様子のDVDの録画を見ながら,丁寧に細かく切って,想い出して貰ってヒヤリングをされている。咄嗟の出来事で,記憶に飛んでしまっている部分があっても当然のことである。一つひとつの事象に対する詳細なヒヤリングにも誠実に答弁されている姿はすばらしいものと感じる。
現場のひとときも余談を許さない中で,吉田所長を始め,現場の作業員(東電の社員を含む下請け企業の社員)の決死の努力,判断,行動力には頭が下がる思いである。それだけに,吉田所長に,邪魔なとまで云われた本店や官邸の現場を知らない余計な指示命令をしているだけの人々は本当に疎ましく感じられる。
ヒヤリングの中で吉田所長も冷静に反省されている部分も多い。例えば,東電がまとめたと云われているアクシデントマネジメントでも,同時に全電源が喪失することは想定されていなく,どこかが生きていれば,そこから1,2日での復旧が可能だと見なされていたようだし,柏崎の原子力発電所が中越地震で想定外の地震が起こったとき,意外と無事に稼働したことなどから,地震に対して変な自信のようなものがあったと思われている。
また,全世界に400から500の原子炉があり,それらが平均20年以上稼働しているが,今回のような事故は,今まで一度も起こっていなかったことなどから,甘く見ていたと述懐されている。こうした,現場の責任者の素直な反省点は,次の世代の人が確実に受けとめ,活かすことが大切なことなのである。
冒頭にも書いたように,前代未聞の大事故に敢然と立ち向かい,日本の総理を始めとする中枢の幹部を向こうにまわし,毅然たる態度で,自ら身体をはって現場最優先の的確な判断をできた人だと改めて感じた次第である。
東電の体質と云われるが,吉田所長以外の東電幹部の立ち振る舞いは,どこの大企業でも似たり寄ったりで,要領よく上に取り立てられた人が出世しているのは,いずこも同じである。だから,上の顔色を窺うことに長け,責任の所在を自らから避ける基準で物事を判断する。まして,切羽詰まった緊急事態では,よりその色合いが自然と出てしまう。当にそれが起こったのである。
「撤退」か「退避」か,危険が迫ったときの判断でも,現場から離れた本店や官邸の人々は,自らが主体となった判断でなく,人に責任を押しつけるがごとき判断でしかない。自らが日本を滅ぼしかねない当事者になっておれば,当然今回の吉田所長と同じような判断をした人が出てくるだろう。そうした意味からすれば,東電の本店も,ましてや官邸にあっては,当事者意識はなかったと云える。否,当時の多くの関係者の発言からすると,当事者になっていても,自ら逃げ出すような人では無いかとさえ,疑いたくもなる。
本当に,吉田所長が現場責任者であってよかったと,つくづく感じる。
続いて政府関係者へのヒヤリング
当時の菅総理大臣,枝野官房長官,福山福官房長官,海江田経済産業大臣,細野内閣補佐官など政府関係者のヒヤリング内容を読んでみた。事故発生直後の生々しい状況が再現されており,いずれも当事者感覚でもって対処されている様子が伺える。ただ,官邸と民間とのギャップがあり,官邸の言葉や行動が他の人に与える影響をあまり考慮されていない様子が伺える。
●菅総理大臣(当時)
自分が政府の中でも技術屋で,原子力発電のことを一番判っていると自負されている様子が窺い知れるが,総理大臣としての言動が廻りにどれだけ影響を及ぼすかについては全く判っていない。最高責任者に正確な情報が素早く届かないことに苛立ちをしている様など,他の人が云うように,イラ菅がもろに出てしまっている。
原子力のことを少しでも知っていると知ったかぶりする例は,海水注入における再臨界の可能性があるのではと言いだしたことである。それに対して,無いとは云えないと班目委員長が言ったものだから,武黒フェローが吉田所長へ,海水の注入を中止するよう指示している。吉田所長は現場の状況からそんなことをしたらたいへんなことになるので,無視されたのでよかったのだが,菅総理の言い分は,再臨界と海水注入は関係ないと言い訳をしている。原子力の技術者ならそんなことあり得ないと言い切っているが,後からは何とでも言える苦しい言い逃れでしかない。
これも周りの人の言葉だが,菅総理大臣のやり方はイベント型で,きっちり計画性をもって組織だって仕事をするタイプではなく,必要なときに必要な人を集めてきて乗り切るタイプで,事故処理の対応も当にこのやり方で,必要な参謀を傍らにして判断していくやり方だったようである。事故直後の混乱した状況の中では,こうしたやり方もやむを得ない一面ではあるが,総理大臣として,最高責任者として,組織を運営するには,十分人を使いこなせないタイプと感じられる。
だから,保安院がだらしなかった状況とはいえ,直接東電とやり取り,それも現場で一時も惜しんでもがいている吉田所長に直接話をするなど,本人はよく理解でき,吉田所長は信頼できる男だと評しているが,相手の吉田所長は,わざわざ総理が出てくるなんて邪魔もよいところだと憤慨されている。このニュアンスを全く判っていない。ただ,菅総理のやり方がすべて拙かったとも言えない気がする。果たして,今の総理,安倍首相だったらどうだったかと考えると,五十歩百歩のような気がする。同じように現場のことを当事者として考える資質には疑問符が付く。
●海江田経済産業大臣(当時)
菅総理に続く責任者の一人,海江田経済産業大臣も,もう一つはっきりしたところが見当たらない。東電撤退の件では,清水社長から携帯電話で受け,「撤退」という言葉ではなく「退避」と云う表現だったと言っている。第1から第2へ退避するとのことで,周りの人に確認したところ,第1は退避すれば爆発の危険性が高く,退避するのは無理と伝えたと言っている。
ベントの指示は海江田大臣が指揮している。吉田所長とも直接話されベントをやってくれる確認をしている。これは,武黒フェローなどを通じて現場の確かな情報が得られないからである。また,海水注入もなかなか進まないので,東電の本店などに不信感を抱き,躊躇しているのではないかと感じ,海水注入の命令を出すぞと,脅している。苛立った様子がよく判る。
菅総理の発想で,東電から正確な素早い情報を得るには乗り込むしかないと行ってみると,ハード的にはしかりしたものがあり,統合本部として指揮命令をするには最適の環境が整っていたと述べられている。
経済産業省の傘下にある保安院は,やはり推進庁である経産省に規制庁があること自体,拙いことで,分離すべきだと言っている。
●枝野内閣官房長官(当時)
国民に情報を伝達していたのは枝野官房長官で,テレビの前での話しぶりは,ややもすると国民に不信感をもたらす場面もあったが,当時の情報が正確に伝わらないなかでは,孤軍奮闘されていたようである。
東電の撤退問題は,清水社長から電話が掛かり,全員撤退するとの認識だったとはっきり述べられている。自分では判断できないと応えたとのことだが,わざわざ官邸の何人かに電話してくるのだから,よほどのことであって全員撤退の主旨だった,と。チェリノブイリほどの爆発が起きたら,そこに居る人は全員死ぬことになるので,軽々に判断できなく,総理を夜中に起こして報告した。菅総理は明快で,撤退などあり得ないと即断だったようである。
今回のような大きな事故は,国際的には事業者が全責任をもって対処すべきことで,役所は口を出さないと云うのが標準的だが,東電の当事者能力の無さから致し方なかったと感じている。日本ではこれだけの大きな問題で自衛隊を派遣しなければならないような事態では,政府も事業者と同等の情報をもって判断・行動しなければならないが,そうならなかった。
屋内退避も発令しているが,一旦発令すると容易に解除できないことを後で知り,反省している。
広報を担当していて,情報は正確に隠さないことをモットーにして当たっていた。だから,東電の次から次へと情報が明るみに出てくることに非常に不信感を抱いていた。
要は,緊急事態で情報の一元化が図られず,現場の吉田所長ですら,最初は情報が得られず困惑されていたのだが,東電に於ける情報伝達の拙さ,更には官邸への伝達は,本来保安院が務める役割だが,肝心なところで役割が発揮されず(できない能力の人の集団だったことが後から明るみに),国民に対する正確な報道はされないままに時間だけが過ぎた感が否めない。
●福山内閣官房副長官(当時)
感心したのは,的確にメモを取られており,ヒヤリングの内容が,時間的にも的確にメモによって再現され,他の人の混乱事態でのあやふやな記憶とは一線を画している。特に,枝野官房長官とは対照的である。
東電の撤退する情報も,総理を含め官邸の人間が集まって判断する場面なども,清水社長が来られ,総理とのやり取り,さらには東電内部に総合対策室をつくるくだりなども克明に報告されており,一番分かり易い。
●細野内閣補佐官(当時)
一番冷静に反省点などを述べられている。原子力発電は多重の防御策は講じていたが,多様性に欠けていたと。非常用発電が一階の一番下にあったなど,置く場所がそこしかなかったと言い訳されているが,どこまでリスクについて考えていたのか疑問が残る,と。
東電内部については,自由に発想して,発言でき議論できるような雰囲気ではなく,風通しが非常に悪い。自由な意見が経営に反映されような会社ではなかった印象を持たれている。
事故発生して判ったことだが,保安院や安全委員会には,一線級の技術者が居なく,検査体制としても弱かった。人材の大切さを痛切に感じた,と。
今回の問題点として,安全神話で安全と言わなければならないので,今回のようなシビアな事故は想定されていない。本来,原発が潰れても絶対に放射能はまき散らさないことが大事なのだが,潰れないことを前提に設計されているので,対策ができていない。つまり,安全対策に大規模な投資をしなければならないとすると,それだけの危険性が伴っていることを示す結果となり,自己矛盾を抱えていたのである。
今回の大規模な災害に対応できる法律にはなっていなかったし,保安院などの指揮命令系統が不十分で情報が混乱してしまっていた。だから,官邸が東電と直接やり取りをせざるを得なかった,としている。しかし,東電側からすれば,原子力には素人の官邸がなぜここまで口出しするのかと苛立ちを感じていたのは,吉田所長を始めとする東電側だった。官邸が混乱に拍車を掛けたとまでは言い切れないが,吉田所長の,邪魔だった,と云うところだろう。
あるときから,吉田所長と官邸とのパイプ役を果たすことになっていたが,細野内閣補佐官から吉田所長に電話することは極力避け,正確な情報の素早い把握に留めていたようで,14日までに3回程度シビアな状態のときに情報を貰って官邸に上げていたようである。また,一番シビアな状態のときには,吉田所長から補佐官に電話が入っていたようである。
撤退のやりとりでも,清水社長から枝野官房長官,海江田大臣に電話があり,その二人共が撤退したい意向と理解しており,その当時官邸で,武黒フェローが打つ手がなくしょんぼりしている姿や,班目委員長も徹底しかないと発言されたと述べている。そこで,菅総理が一言撤退なんてあり得ないと云うと,前言を翻し,総理の顔色を窺っている様をみて,こんな人が安全委員長なのか,と。
一方で,残れと云うことはそこで死ねと言っていることと同じことになるので,全員が躊躇したと素直に述べられている。
さいごに
まとめではないが,官邸はベントだの海水注入など,原子力に関する技術的な対策に口出しすべき役割は持っていないし,その能力も無い。それを敢えてやらねばならなかったところに,大きな問題点を持っている。筋書きの無い中での役割分担を予め決めることは容易なことではないことは十分理解できるが,本来の役割分担を全うできるような緊急対応策にすべきである。
今回の官邸の対応は緊急事態としてやむを得ない一面であったとはいえ,本来役割を果たすべき保安院が正確且つ素早い情報を入手できず,官邸に報告ができなかったことにあり,東電の情報伝達にも大きな問題があったが,本来の役割を果たせなかった保安院の責任は非常に大きい。
そうした人事を認めていたこと自体は,日本の天下り体制などが現存する現体制から改めなければならない。原子力に関して,東電に対して,専門家として技術的にも指揮命令できないような人が,のうのうと居る保安院では,今回のような大事故でなくても役立たないのだろう。管理監督は権威だけでなく,専門的に上回った知識や経験が必要である。
東電側や保安院,安全委員会のヒヤリングが欠落していて,やや物足りなさを感じずに居られない。東電や保安院,安全委員会の言い分もあるだろう。それが公開されない(多分ヒヤリングはされていると思われるが・・・)理由がどこにあるのだろうか?よく判らない。彼らこそ,素直に反省して国民に知らしめることこそ,二度と同じ過ちを繰り返さない教訓になるのではないか?個人を責めることになるので,配慮されたのかも知れないと思いつつ・・・。
非常に長くなってしまったが,膨大な資料に圧倒されながら,何とか読み切った中での要点及び感想である。
二度と同じ過ちを繰り返さない教訓を活かされるように望む。
[2014.10.07 Reported by 「金亀一三会」システム担当 Hitoshi Nishimura]