■大阪万博再び ani(new).gif (3353 バイト)  

丁度1年前に,大阪で万博が再び開かれることを願って,ここにエッセイを載せたが(大阪万博再び),それが実現することに決まった。

  決選投票にて決まる

11/23パリで,立候補地の日本(大阪)を含む,ロシア(エカテリンブルク),アゼルバイジャン(バクー)の三者競い合いで,1回目の投票で,日本85,ロシア48,アゼルバイジャン23,2/3を獲得した国が無く,上位2国の決選投票が行われ,日本92,ロシア61で,日本に決まった。

大阪港の夢洲(ゆめしま)で開催予定で,これまで夢洲は埋め立て地で,バブル崩壊で開発が中断され,2008年のオリンピックに立候補したが敢え無く敗れ,負の遺産として,活用が滞っていた場所である。万博の資金計画では,会場建設費に約1250億円,事業運営費約820億円,関連事業費(地下鉄延伸費など)約730億円を掛けると云われている。

今回のテーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」で,コンセプトは「未来社会の実験場」,開催期間は5月3日〜11月3日までの185日間,入場者数の想定は約2800万人,経済波及効果1.9兆円と試算されている。いろいろ課題はあるようだが,再び万博が見られるかと思うと気持が高ぶる。

  EXPO'70で発表,その後実現したもの

   @動く歩道

開会日から故障続きだったそうだが,将棋倒しになって75人もの人が負傷したとの記録がある。この動く歩道は,今やどこのでもあり一般的になっている。

   Aワイヤレスホン

NTTが未来の電話機として展示。当時は肩に掛けた本体に,電話機(これも大きなもの)が付いているタイプだった。これも後に,PHS,更には携帯電話となり,現在のスマートフォンになっている。

   Bテレビ電話

迷子センターで利用され,映像で親子かを確認しあった。今や,世界中で,Skypeなどが使われている。

   C缶コーヒー

1969年にUCCが世界初の缶コーヒーを発売したが,なかなか販売に結びつかなかった。万博で実験的に発売したら,大ヒットになった。

   Dケンタッキー・フライドチキン

日本で発売する目的で,万博に実験店舗を設営した。チキンとポテトにロールパンを付けた350円のセットが1日4600セットも売れるほどの盛況ぶりだった。日本デビューが成功し,この年の7月に日本KFC(ケンタッキー・フライドチキン)は設立された。

   Eモノレール

万博会場内を廻る環状運転路線として,万博開催期間中のみ運行された。

   F電気自動車

開催期間中,来場者用のタクシーとして,或いは施設管理用のパトロールカーとして利用された。ダイハツが275台納入(タクシー用),スズキは施設管理用パトロールとして使用された。

   G電気自転車

報道関係者用に電気自転車10台,普通自転車20台が会場内で貸し出された。

   H電波時計

世界初の無線コントロールシステムを採用した電波時計を設置(セイコー製)。

   Iエアドーム

アメリカ館に利用。空気で膨らませるエアドームのテント屋根。太陽工業が手掛け,テント屋根業界で世界のトップに。

   JLAN(ローカル・エリア・ネットワーク)

コンピュートピア(コンピュータによって実現される楽しい世界(ユートピア))

   Kアストロラマ(アストロビジョン)

全天周の映画

   Lヨーグルト

ブルガリア館のヨーグルトはさわやかな酸味が特長で,その後明治が1971年に「明治プレーンヨーグルト」として発売。しかし,売れ行きは今一つ。本物である証しとして「ブルガリア」を商品名に使うことを,しかしブルガリア政府の許可が下りなかったが,品質の高さなど熱意が認められ,「明治ブルガリアヨーグルト」が1973年に誕生。

   Mファミリーレストラン

アメリカのロイヤルホールディングス(株)が出店,メイン店舗の「ステーキハウス」が凄く繁盛,万博店舗としてNo.1の売り上げで,期間中に11億円を達成した。

   Nリニアモーターカー

日本館で1/20の模型が公開。時速500km,東京−大阪間を1時間10分で結ぶ予定。未だ,実現していない。

   O全自動人間洗濯機(ウルトラソニック・バス)

そのままのものは実現していないが,ミストバス(身体障害者用自動洗浄浴槽),介護用浴槽として浸透しつつある。

  未来社会に向けて

松井大阪知事は,50年後の未来を見せるなどと豪語されているが,口で言うほど簡単ではない。EXPO'70がそうだったように,近未来に実現するであろう製品を幾つか見せて欲しいものである。もちろん,私自身が目にすることはないとしても,息子や孫がそれらを手にして,豊かな社会になるようにして欲しいものである。

EXPO'70からは,とにかく激変の時代であった。パソコンも携帯電話もなく,インターネットの影も形も無かった時代で,高度成長期へまっしぐらに進んで行こうとしている時だった。CPUが創出され,技術にソフトウェアという新しい分野が生まれたのもその後である。技術者の内容も様変わりし,ハードウェア技術よりも,ソフトウェア技術が中心になってしまっている。

このさらに進化系が何になるのか,さっぱり予想が付かない。今目に見えているのは,例えば自動車がすべて電気自動車に変わり,運転の自動走行などが完全に普及した時代になる程度のことは判る。テレビや携帯電話がどのように変わるかは,よく判らない。今以上に,人に優しく,使いやすくなるだろう。

グローバル化ももっと進化して,地球規模ではなく,宇宙規模の旅行ができる時代になっているかもしれない。言葉の問題も,世界共通で,どの国に行くのも不都合を感じなくなるような時代で,移民などの問題も解決されているだろう。ただ,世知辛い世の中になるのではなく,豊かな心が持てる未来社会になって欲しいと願う。

 

[Reported by H.Nishimura 2017.11.26]


Copyright (C)2018  Hitoshi Nishimura