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2005年8月16日(火)22時58分 同窓会の写真の整理ができました
西村 仁司 (旧3年7組) wpe1.jpg (856 バイト) hnishimu@kcat.zaq.ne.jp

金亀一三会の皆様
8月13日(土)の想い出をそのまま画像に残しましたので全てアップしてみました。5年前の,10年前の想い出,いや40年前の想い出に浸った方もおられたのではないでしょうか?
会場の雰囲気をそのまま伝えたく,スケジュールに則って順番に整理しました。会場の風景の最初の方はクラスごとに集まったものですので,自分が座っていた位置から写真を見つけ出してください。全画像,ダブルクリックすれば拡大画像が見られるように工夫しましたので,老眼で見にくい方は拡大画像で自分を確認してください。画像を通じて想い出がより鮮明に残れば幸いです。
また,当日はご都合により出席できなかった皆様も,これらの写真から,当日の楽しかった雰囲気を味わってください。そして羨ましがらず,是非次に開催されるときにはご出席ください。

 

2005年8月16日(火)17時21分 西村君 ご苦労様!
沢田 建二 (旧3年4組) wpe1.jpg (856 バイト) kenji@kyo10.com

西村君にあっては、その後のお盆休みも返上して、先日の金亀一三会の膨大な写真を編集して下さって有難う御座いました。皆さんの当日の動きが手に取るようにわかります。この様な形で速やかに経緯結果が分かるのですから、やはりHPは有効に使わなければ勿体無いですね!此度は大変ご苦労様! 二次会も楽しみにしています。
事務局及び準備委員会の皆様へ
結果&収支報告や反省会及び今後の検討も兼ね、9月3日(土)の頃に会議を設けませんか?鈴木君お手配の程考えて下さい。沙汰お待ちしています。
当日会場にてお忘れ物がありました。
上等な宝石(?)らしき物で装飾された、ストラップ(ビニール袋入り)を一点お預かりしています。どなたかお心当たりの方がいらっしゃれば、沢田までお知らせ下さい。

 

2005年8月14日(日)16時35分 金亀一三会の皆様へ
沢田 建二 (旧3年4組) wpe1.jpg (856 バイト) kenji@kyo10.com

昨日の同窓会「金亀一三会」には、沢山の方々が集って下さいまして、誠に有難う御座いました。拙い進行役の私でしたが、宮川女史の素晴らしいサポートや、この日を迎えるに当たって数々のお手伝いをして下さった準備委員会のスタッフの方々のお力添え、更には
ご臨席の方々のお言葉や演出にて賑々しく無事に終えることが出来ました。当掲示板をお借りして、改め御礼を申し上げます。
次回は、より充実した同窓会を催すことに努力致したいと思っております。そして又ご参集下さった方々、ご都合上ご出席頂けなかった方々すべてに、当ホームページへのご参加と我々のコミニュケーションの場をより豊かにして行ければとの願いを込め、各位の益々のご健勝を祈念致しております。
合掌

 

2005年8月14日(日)2時29分 素晴しい「同窓会」、ありがとうございました!
成宮敬也 (旧3年4組) wpe1.jpg (856 バイト) keiya@mint.ocn.ne.jp

 金亀十三会第3回目の同窓会、幹事の方々本当にありがとうございました。東高を卒業してほぼ40年、当然皆それぞれに変わって当たり前なのですが、一瞬にして40年前に戻る〜そんな機会を創っていただける金亀十三会のわれわれは「本当によかった」の言葉以外、何と表現すればよいのか・・・・。同窓会会場で写真を写していただいたご同輩、もし許されるならぜひメ−ルで送ってください。一見平凡なようでも、何かと有りがちな人生、ぜひ思い出の写真を見て一歩々々、これからも歩んでいきたいものです。
 幹事の方々、本当にありがとうございました。小生、今朝はなるべく早く彦根を発ち関東に引き返し、全く望みもしなかった民事裁判の訴訟準備、それにいうまでもなく間じかに迫っているプロジェクトの準備にいそしみたいと思います。何か、急に現実的になってしまうのですが、これも生身の人ならではのいたしかた無いことです。 わが故郷彦根駅前ホテルにて

 

2005年8月10日(水)21時1分 愉しみです
水野まき(松宮滋子) (旧3年5組) wpe1.jpg (856 バイト) matsumiya@jcom.home.ne.jp

待ち遠しかった日が、いかにも現実味を帯びてきました。多くの
懐かしい顔・顔・顔が浮かびます。出席が叶わないたくさんの仲
間も、きっと心いっぱい彦根に集うのだ、と想うだけで胸がいっ
ぱいになります。夫々のその人だけの人生を感じ合えるひと時に、胸ときめかせて参加いたします。実行委員会の皆様ご苦労様です。

 

2005年8月9日(火)23時36分 いよいよ あと4日となりました!!
椙本 和子 (旧3年1組) wpe1.jpg (856 バイト) kazuko.sugimoto

酷暑の日々が 続いています。
皆様 お元気でお過ごしでしょうか。
いよいよ卒後40周年同窓会まで あと4日となりました。
体調をお整え頂いて 元気なお顔をお見せ下さい。
いろいろと趣向も考えております。
楽しみにお越し下さい。
皆様方のお元気なお姿にお出会い出来るのを
幹事一同 心より お待ち申し上げております。

 

2005年7月9日(土)0時42分 8/13、ぜひ盛上りたいものです!
成宮敬也 (旧3年4組) wpe1.jpg (856 バイト) keiya@mint.ocn.ne.jp

 金亀十三会の同窓会、「出席or云々」の葉書、今頃、書いている始末です。今日も、何かと痺れやすい左足を引きずりながら午後3時近くの新幹線に飛び乗る有様です。昭和21〜22年頃に生れたわれわれ気力はまだしも、体の方は意識する、しないの間にいつの間にかガタが来てキツクなるのですが、これは歳相応ということでしょうか?しかし、そんなことは吹き飛ばして、8/13日は古き良き時にタイムスリップしたいものです。

 

2005年5月19日(木)10時56分 団塊の加齢
加藤(宮川)吉治郎 (旧3年1組) wpe1.jpg (856 バイト) kkichijiro2003@ybb.ne.jp

2007年には我々団塊の世代が定年退職を迎え、やることがないので旅行に行くし、ボランティアはするし、背広以外の服を買うし、趣味を見つけてあれもこれもするから再び世の中が好景気になる、とニュースや新聞がうるさい限りだ。
ある朝のこと。
あれ何だか朝陽が眩しいナ、目から涙が出るゾ、おかしいナと思いつつ一日調子が悪い。たまらず夕方眼科へ行った。
「加齢現象です。病名で言うとドライアイと老人性白内障です」と年上の女医さんが冷たく宣告する。まずは製薬会社の売上が伸びた。
「乱視もありますから、この際、眼鏡をお作りになった方が……」と医者にすすめられて眼鏡屋へ向かう。
「ご主人には、これなんかとてもお似合いですし、何よりも上品に見えますよ……ねぇ奥様」と売り場の女性が妻に同意を求める。
私は内心「アタシャ、眼鏡掛けなくても上品でござんすよ!」と毒づきながら「これっ、これ下さい。こっちの方がいいです。ちょっとジョンレノン風じゃないですか」と勝手に選ぶ。傍らの妻と娘が「あっちの方がいいのにねぇ……」とため息をついたのが分かったが、私はふちなしの丸い眼鏡を買った。
私が乱視の入った遠近両用と丸いフレームで〆ておいくら?と店員に聞いた。
店員が妻に電卓を差し出す。
財布を持っている妻が目を覆った。
眼鏡屋の床には、飛び出した妻の目玉が転がった。
団塊の世代は、間違いなく景気回復に寄与するはずだ。

 

2005年5月2日(月)23時20分 10年ぶりの再会たのしみです
西川健二 (旧3年1組) wpe1.jpg (856 バイト) nishikawa560@yahoo.co.jp

初めて投稿します。2001年よりあった由、全て読ませてもらい、又、当地奈良県桜井市に来てもう36年が過ぎ去ったのかと思うと感慨無量です。小生のサラリマン生活もマラソンレ−スに例えると、残り1.5km地点に来ています。(2006年10月末定年)スタ−トした競技場が目前に迫っています。あと少しこのままは走り続けるしかないのかな-−−と思う昨今です。
 昨年は参議院議員「前田武志」の後援会「桜井前田会の代表世話人」として選挙運動に大変でした。そのあと、体調を崩し、異形狭心症ということで血管造影検査を8月受け、最近やっとまともな体に戻ったようです。この8月には必ず行きます。ゴルフはちょっと?
また、当地は邪馬台国政府のあった所です。明日香もすぐ隣です。黒塚古墳、大和トトヒモモソ姫の墓(箸墓古墳)『卑弥呼または壱与(トヨ)景行天皇陵、崇神天皇陵、大三輪神社、高松塚古墳、キトラ古墳、神武天皇の宮殿跡、仏教伝来の地、雄略天皇の泊瀬朝倉の宮跡、舒明天皇陵、蘇我馬子の墓「石舞台古墳」、葛城の中大兄皇子と中臣鎌足が仕組んだク−デタ-((蘇我入鹿斬首事件)後、大化改新という)のあった明日香板葺の宮跡、天武持統天皇陵そして神武天皇陵等枚挙にいとまがありませんが、案内させていただきますよ。
最後に私の研究成果を2つ
1.万葉集 巻1-1 雄略天皇(大泊瀬稚武天皇)
籠毛与 美籠母乳 布久思毛与 美夫君志持 此岳尓 菜採須児  家吉閑名 告紗根 虚見津 山跡乃国者 押奈戸手 吾許曾居
 師吉名倍手 吾己曾座 我許背歯 告目 家呼毛名雄母
(訳)
 貊よ 瑞穂の貊たちよ 復旧よ 瑞穂の復旧の者たちよ この丘に 私は(先代と)並び立ち ここに宮を作り 告げて住もうと思う 斯盧弥鄒(さろみつ) やまとの国は 押さえておきて 統治者は私1人である 鎮めねかして 私は自ら位に就く 私は急ぎ来て 告げる ここに来る 出て来ると。

巻1-28 持統天皇
春過而 夏来良之 白妙能 衣乾有 天之 香来山
(従来の訳)
春が過ぎて夏がやって来るらしい、真白な衣が乾してある、天の香具山は。
(本来の訳)
春が過ぎて、夏が来るのだろうか 白い肌着の紐をほどかれる 夫が香ぐわしいので。(夫とは文武天皇のこと)
(大意)
春が過ぎて、夏がやってくるのでしょうか 白い肌着の衣の紐をおほどきになる貴方から(いつになく強い)香りが漂います。−−−−−−−初夏の寝室の情景が生き生きと浮き彫りにされています。
もう一つサ−ビスで 
巻11-2643 作者不詳
玉戈之 道行渡 伊奈武思侶 敷而毛 君乎 将見因母鴨
(訳)逆さに入れよう 道の間にすぐ攻めよう 君よ 見つめつつ行こう。
(大意)逆体位でしましょう 分かれ道の三角地、今すぐここで でもこうやると顔を見ることが出来ませんね、あなたの顔を見せて下さい。見つめつつセックスをしましょう。
以上です宜しく。 

 

2005年4月10日(日)22時11分 お花見日和に同窓生が集って
西村 仁司 (旧3年7組) wpe1.jpg (856 バイト) hnishimu@kcat.zaq.ne.jp

同窓会の準備委員会がありました。
ご報告は,トピックスなどで後日,写真と共にご報告します。
今年は,遅かった桜の便りが一気に来た感じで,関西では絶好のお花見日和で,彦根城の中も大変賑わっていました。桜は7,8分咲きで,多少赤みが残った状態でした。雨の心配もあったのですが,誰の行いが良かったのか持ちこたえて,楽しいひと時でした。
話が弾んで,誰かが言い出した2年生の時の担任が誰だったか?
と云うことになり,集まった面々では以下のような記憶でした。
誰か正解を教えていただけませんか?
1組 藤沢 先生
2組 小泉 先生
3組 椙本 先生
4組 安本 先生(?)
5組 鷲田 先生
6組 ??
7組 辰巳 先生
8組 工藤 先生
9組 中山 先生
と云う記憶でした。3年生のクラスは名簿がありますが,さすが2年生のときとなると,記憶が曖昧で・・
結構,こんな話題だけでも,盛り上がりました。
先着の方に,賞金を?とはいきませんが,何方か,特に2年6組のクラスだった人,書き込んでいただけませんか?
メールで教えて頂いても結構です。

 

2005年3月28日(月)1時0分 自戒?〜の意味を込めて「団塊の世代にエ−ルを!」
成宮 (旧3年4組) wpe1.jpg (856 バイト) keiya@mint.ocn.ne.jp

 今年もあたふたとしている内に1/4が過ぎようとしています。今日は昼間、長女が私と女房にプレゼントしてくれた帝国劇場のチケットでビクトル・ユゴ−のレ・ミザブルを観劇してきました。昨年は次男の予期せぬ出来事があっただけに嫁いだ娘の「しっかりしなさい!」という叱咤激励?〜に感謝しながらも、女房とは午後の3:40分頃に別れて明日から水曜日までの出張先に向かって新幹線に飛び乗るという全く落ち着かない有様です。ただ同じバタバタとするにしても何年か前と違って、すぐに息切れする始末です。ようやっと新幹線の席に落ち着くと、娘夫婦の好意に感謝しつも…。「すぐに息切れ、俺もそんな歳になったのか」とも思います。
 「そんな歳」というと、われわれ金亀会ご同輩は「団塊の世代」といわれる何かと社会にインパクトを与えてきた年代層です。先日も私が勤務する会社で全く同世代の社員が定年までの僅かな時間を残して社を去ることを決めました。そんな彼に同じ団塊世代の1人として次のような言葉を送りました。これは、贈ったというよりも同じ世代として、むしろ自分自身に「言い聞かせる」というか…「確認させる」という意味もあったのかも知れませんが…。

『36年間のご勤務、本当におつかれさまでした。今回、常務より「長谷室長壮行会」の案内をいただきました。壮行会が予定されています3月31日は、小生全く私的な事柄ですが、どうしても片付けておかなければならない案件があり壮行会を欠席させていただきますこと、ご容赦ください。
 今回、長谷室長が3月31日の誕生日を区切りに自己定年にされること、心より「今までとは違った形で頑張ってください」と申し上げたい心境です。あるいはそういうよりは同じ「団塊の世代」として、「われわれ団塊世代は現状に区切りをつけて、これまでとは違った形で社会とかかわる時」に来ていると長谷室長が区切りをつけられたことを見て、しみじみと思います。そのことは多くの「団塊世代ご同輩」がそれとなく気がついていることかも知れませんがいざ「その区切り」をつけようとすると自分を含めて大抵の凡人にはなかなかそのように出来ないのが現実です。長谷室長は昭和22年3月31日生まれ、小生も同じ昭和22年の3月生まれですが、団塊の世代は一般的にはこの昭和22年(1947年)〜昭和24年(1949年)生まれが該当するとされ、その数は700万人近くに達し、前の世代に比べて約3割増し、後の世代に比べても2割程多い団塊世代は戦後日本社会に何かとインパクトを与えてきたように思といいます。団塊世代を昭和21年から26年生まれまでに拡大しますと約1,100万人ですから、日本全人口のほぼ1割にもなり社会への影響が大きいのは当たり前かも知れません。
 われわれ団塊の世代は、日本が太平洋戦争に突入した昭和16年〜敗戦の昭和20年に生れた世代と、また団塊の世代後に生れた人達とは何か区分された幾つかの特徴があるようにも思います。その1つは明治以降「われわれ団塊世代は戦争と物資不足を知らない最初の世代」です。2つ目は「経済成長を疑うことのなかった世代」です。今日より明日は必ず豊かになるという発想はわれわれにとって当たり前でした。そのことは世の中全体で見ると東海道新幹線の開通、東名・名神高速道路、東京オリンピック、1970年の大阪万博という形で現れました。3つ目は個人が好むと好まざるにかかわらず団塊世代は働き盛りの30代、40代を終身雇用、年功序列等々、先輩世代が定着させたシステムの中で過ごしてきたということかと思います。われわれ団塊世代のこれまでを振り返って見ると学校を卒業して会社に入り、われわれより3つ4つ、あるいは5つ6つ上を先輩としてとにかく一生懸命働き、これも直接的には先輩社員の指導よろしく何かというと会社経費で宴会。その内、会社天引きの預金も貯まってくる。そこで人並みに家庭を持ち住宅を買って子供は2人ぐらいつくって大学に入れる。これが団塊世代に暗黙の内に共通化された人生設計のモデルであったようにも思います。4つ目は今振り返って見ると、われわれの世代は大抵の環境に妙に従順であったように思います。われわれが大学生の時、全国各地で学園紛争が起こりましたが、当時の学生つまり団塊世代には必ずしも体制破壊の志があったわけではないように思います。だからこそわれわれは大学を卒業するとスパッと切り替えて会社人間になれたのだと思います。われわれ世代は明日の成長を当然と思い込み、その内実はともかく少なくとも表面上は勤勉で、組織内にあっては先輩、上長に礼を失しない環境順応能力があった団塊世代は、間違いなく高度成長の原動力であったと思います。このことは、そのまま戦後消費社会の成長とも重複してきます。われわれの小学生〜中学生頃、昭和30年代半ば前後、今となっては懐かしい言葉、「三種の神器」(TV、電気洗濯機、冷蔵庫)が普及した。漫画週刊誌の創刊もこの時期です。学生相手の飯屋で読んだスポ根マンガ「明日のジョ−」等々は、われわれ世代がこれも一頃流行ったモ−レツ社員へとさしたる抵抗もなく導かれたひとつかも知れません。「ハイティ−ン」という言葉もブ−ムとしてありました。これはわれわれの高校生の頃です。大学を卒業する頃「ヤング」という言葉も流行りファッション産業が伸び、ファーストフードが認知され始めました。団塊の世代が家庭を持ち始めると「ニューファミリー」という言葉が流行り乗用車(マイカ−)の販売が急伸しました。われわれ世代が30代半ば〜40代に入ると住宅ブ−ムの到来です。デ−タを振り返って見ると、われわれが家を構える時期、1984年〜96年の12年間の住宅着工数は、人口当たりで見ると米国の2倍、英国の4倍にもなる年平均150万戸です。われわれ世代の歩みと共に多くの市場が開拓されたことは間違いないかと思います。団塊の世代は「成長が当然」という真っ只中で青年期、壮年期を経験しました。その時代は終身雇用と先行投資、団塊世代の律儀なまでの忠誠心によってバブル景気にまで至ったのではないかと思います。ということはバブル景気の出現と崩壊の原因は、少なくともそのひとつとして、われわれ世代の人口圧力だといってもよいかも知れません。
 団塊世代が学校を卒業し社会に出た時の社会モデルは次のようだったと思います。会社に入って最初の2〜3年は、われわれ世代が会社から貰う給与の方が、われわれの会社への貢献を上回っていた筈です。団塊世代を直接鍛えたのは、われわれ世代より少し先に生れた先輩社員です。その鍛錬が済んでからの、10年から20年、30年間は団塊世代の会社に対する貢献に比べて報酬は少なかった筈です。つまり10年〜30年間は、われわれの世代は会社に投資したことになります。人によって差はありますが入社して20年〜30年を経過すると、われわれの会社に対する貢献よりも給料が上回ります。つまり昔の投資を取り返す時を迎えます。そして回収し切れない投資残高が退職金となります。このシステムはわれわれより先の世代が考え、われわれより5つ、6つ上の世代が固めた管理制度です。しかし、この制度が現在では合わなくなっており、どの組織もシステムを変更しようとはするが根本的にはうまくいかい。それは、このシステムを固めたのが団塊世代の少し前の先輩世代で、システムに従順であったのがわれわれ世代であったことを考えれば頷けるところですが。
 こんなふうに考えますと、団塊の世代はどこかで区切りをつけてこれまでとは違った生き方に変えざるを得ないところに来たのではないかと思います。団塊の世代は年金についてはある程度の水準が保てる状態です。定年前の繰り上げ年金としても、組織から離れたわれわれの世代が、組織にとらわれない新しい動き、やりたい仕事を追及する水準は保たれそうです。アウトソ−シングということがいわれて久しいわけですが、今の社会の人口構成を考えると、おそらくアウトソ−シングの重要な担い手になるのは2年後の2007年に一斉にリタイャ−を始める団塊の世代だと思います。
 今回の長谷さんの自己定年は、全く同じ団塊世代として真剣に考えなければならないことだと思います。長谷室長には社員としてというよりは、全く同じ世代の1人として「本当におつかれさまでした。全く新しい生き方にエ−ルを!」と心から申し上げます。
成宮敬也(全く同じ世代の一員として)』

 われわれ世代は、知らぬ間に?〜ここまで来てしまいました。もう、この歳になってしまえば、「あれが良かった」「これはそうではなかった」「組織の中で上だ下だ」ということでもあるまい。今までのことは既に「勝負あった」なのです。むしろ、いずれやって来る第一線引退?〜をものともせず新しい生き方を見つけてゆく、それが、われわれ団塊世代のバイタリティかとも思います。
自らへの励ましと自戒を込めて。(紀伊田辺市の投宿先、シティプラザホテルより)

 

2005年3月20日(日)3時50分 自由や平等は置物のように・・・
松宮 剛 (旧3年5組) wpe1.jpg (856 バイト) matsumiya@jcom.home.ne.jp

「自由は置物のようにそこにあるのではなく、現実の行使によってだけ守られる。いいかえれば日々自由になろうとすることによって、はじめて自由でありうるということなのです。」丸山真男が『日本の思想』の中で語った言葉です。しかし自由とは何でしょう?“制約を是認した中で獲得するオリジナリティの発動”そんな感覚が私はぴったりするような気がします。「平等」とはそんな自由を肯定すること。「制約」は、倫理規範と平たく言えばよいでしょうか。「オリジナリティ」は、人がそれぞれに授かった本来の自己。その「本来の自己」に至るのに人間は一生をかけている。そんな人生が素晴らしい!

 

2005年2月19日(土)4時29分 冬のなごりの雪が・・・
松宮 剛 (旧3年5組) wpe1.jpg (856 バイト) matsumiya@jcom.home.ne.jp

此処湘南地方では珍しい雪が舞っています。うっすらと積もっても居ます。美しいと思います。街灯に照らし出されて多彩な白です。What a wonderful world ! (何と素晴らしい世界!)しかしこれは北の地方の人たちにはとてもそのまま語ることは出来ません。愉しみつつ内心その心を戒めてもいる、そんな心境です。皆さんの冬は如何なのでしょう?
昨日から明日まで若い人たちのリーダーシップ養成セミナーを江ノ島女性センターで実施しています。水谷 修、河野太郎両氏を招いての80名くらいの集まりです。参加者一人一人に何らかのきっかけを与えてくれそうで胸を熱くしています。これも、What a wonderful world ! です。

 

2005年2月16日(水)22時30分 ?
高木隆雄 (旧3年1組) wpe1.jpg (856 バイト)

市町村合併が進んでいます。滋賀県でも、甲賀市、湖南市、高島市、野洲市、米原市、東近江市、などが誕生しました。八日市や五個荘はそれまでの歴史を捨てて、名前だけでは何の魅力も感じない東近江市になりました。近江八幡市は、今、安土町と合併の話が進んでいます。名前はどうなるんでしょうね。安土も八幡も歴史的な町を誇っています。うまい具合に収まればいいのですが。

 

2005年1月16日(日)21時24分 阪神淡路大震災から10年
西村 仁司 (旧3年7組) wpe1.jpg (856 バイト) hnishimu@kcat.zaq.ne.jp

明日早朝で,あの阪神大震災から10年が経つ。いろいろな報道や記事が出ているので,改めて想い出した方も多いことだろう。私もその一人である。掲示板に書くには長くなるので,「よもやま話」のコーナーにそのことを書かせてもらった。
今年は,この「よもやま話」を復活させ,時の話題を折に触れて書くことにしてみようと思っている。

 

2005年1月16日(日)4時49分 内橋 克人の憤り
松宮 剛 (旧3年5組) wpe1.jpg (856 バイト) matsumiya@jcom.home.ne.jp

「復興は終わっていない」と題して、「あの朝、机の下に身を屈め辛うじて命を守り、やがて東京に逃れた私の継母は、神戸のいまを二度と見たくない、と言い、瞼の裏のふるさとを守り続ける。故郷の自治体から便りひとつ届くことなく、老女は異郷の地に忘れ去られた。真の被災者は少数派となってかき消される。復興は目に見え、喪失は姿を見せることはない。・・・災害こそはその社会の正体を輪切りにして断面をさらけ出す。人を尊重する社会なのか、そうではなく、人の命でない何か、を至上とする社会なのか、である。」大いなる共感を覚えますが、同時に私自身も反省することき頻りです。

 

2005年1月15日(土)19時46分 震災から10年
福田 雅子(旧姓上原) (旧3年9組) wpe1.jpg (856 バイト) f-masa@mb3.suisui.ne.jp

 遅まきながら、新年おめでとうございます。
初めて掲示板メッセージへの書き込みに参加しました。
 今までにも、金亀一三会のホームページは、何気なくふっと思い出したように開いては懐かしんでおりました。今日も何気なく開いてみると、卒業40周年同窓会が8月13日に決定しているのを知り、第1回同窓会を昨日の事のように思い出し、書き込みしました。
 10年前1995年はあの阪神・淡路大震災の年でした。今日のテレビは10年という節目で特集を組んで、あの頃の惨憺たる情景の神戸の街々を映し出しています。壊れた家や手の付けようのない道路等、今考えると誰が死んでも不思議でない状況の中、住む家が残り、怪我もせず元気でいられただけで有難いなと感謝する毎日だった事を思い返しては、自然に涙があふれてしまいます。
 私の住む東灘区も、高速道路が損壊したり、国道2号線沿いの町並みが全壊するといった場所もあったりと、美しい神戸の街を一瞬のうちに瓦礫の山に変えてしまう自然の恐ろしさには、唖然とする恐怖を覚えたものでした。昨年の中越地震や津波災害に遭われた方達も、まさか自分の住む町や村があっという間に無くなるなんて考えられない事だったと思います。しかし自然の怖さは、予告無しに突然やってきて、信じられない情景にしてしまうのですから・・・
 この10年、神戸の街は目まぐるしく変わり、ビルも家も近代的な新しい物が建ち並んで、震災にあった事など忘れてしまいそうになります。又自分自身の日常生活にも祖父に始まり舅・姑・実母の死、長男の結婚、転居等、色々あったなと感慨深いものがあります。
これからの10年、果たしてどのように変わっていくのやら・・・
同窓会が開催される度、私は神戸の震災を思い出し、健康で元気な毎日を過ごせることに深く感謝しなくてはと思っています。
 8月13日の同窓会、今から楽しみにしています。役員の方々には何かとお忙しい中お世話戴き有難うございます。一人でも多くの友が集まり盛大な会になる事を切望しております。

 

2005年1月10日(月)16時35分 遅まきながら 明けましておめでとうございます
椙本 和子 (旧3年1組) wpe1.jpg (856 バイト) kazuko.sugimoto

新年 明けましておめでとうございます。
皆様 お元気にお過ごしでしょうか。というよりは・・・
  生きてますかあーーーー
昨年は 地震 台風 大津波と とんでもない大災害が続き、悠長に
花鳥風月を愛でている心境には とてもなれない日々が続きました。
今年はどうかおだやかな年であって欲しいものです。

いよいよ今年は 40周年同窓会の年
皆様におかれましては くれぐれも健康にお気をつけ頂いて
多数のご出席、ご協力心よりお願い申し上げます。



 

2005年1月1日(土)18時20分 新年明けましておめでとうございます
西村 仁司 (旧3年7組) wpe1.jpg (856 バイト) hnishimu@kcat.zaq.ne.jp

金亀一三会の皆々様、明けましておめでとうございます。
本年もこのホームページで宜しくお願いします。
昨年を振り返って見ますと、災いの年。地震があったり、台風が幾度となく上陸、しかも被害も大きく、それに年末には史上最大規模のスマトラ沖の地震。災害に遭われた方もあったのではないかと心配しております。
このホームページも3年目を過ぎ、目新しさが無くなったせいか、掲示板の書き込みも、昨年度は1年間でたった24回、特に8月から11月までの3ヵ月間は誰も続いて書く方が居ない状態が続きました。本来、システムを扱っている裏方として何かを書けばそれに続く方も居たのでは無かったかと反省しきり。
本年度は、卒業40周年の同窓会を控え、このホームページも活発化させようと企画しています。皆さんの積極的な参加、掲示板への書き込みを期待しています。どんな些細なことでも結構ですし、難しい内容でも一向構いません。気にせずどしどし書き込んでください。(どなたかが上手く切り換えしてくださることを期待します)それ以上に、書き込みせずとも楽しみに読んでいただいている方々が多くおられますから。

本年もどうぞ宜しくお願いします。

 

2004年12月27日(月)4時7分 いずくへか帰る日近き心地して
松宮 剛 (旧3年5組) wpe1.jpg (856 バイト) matsumiya@jcom.home.ne.jp

“生きる”ということは、とりもなおさず“抜き差しならない当事者として存在しつづける”ことなのでしょうね。元々“生きる”そのこと自体哀しいものなのだと思います。誰しもどこかで「この幸せ?な状態が永久に続くもの」と何となく思っているものですが、現実の日々は、やはり過酷なものです。まして我々のような年代を迎えると、ことさら身に沁みます。「50代は癌の好発年齢」と学生時代に聞いた言葉の意味を今噛みしめます。それは「個人的な生活習慣(癖)の“累積”が、或る閾値を越える」ことなのです。突然起きたように見えることも実際は累積効果としか言い様の無いことなのです。与謝野晶子の晩年の詩に「いずくへか帰る日近き心地して この世の事の懐かしきころ」というのがありますが、しみじみと胸に染みる此の頃です。
 それにしても心中察するに余りあります。
 ところで、スマトラの津波は相当な被害のようですね。
 皆さんのよい日々を祈るばかりです。

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