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2006年4月15日(土)9時13分 還暦の感慨
藤川建治 (旧3年5組) wpe1.jpg (856 バイト)

2番乗り!!!(たぶん・・・おそらく・・・)
自分のブログに書き込んだ日記から。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「4月10日

関西まで二往復して二度の葬儀をすませ、
滋賀ではプチ同級会でたらふく飲食し、
大森で最上踊りを観賞し、
日野、豊郷、愛知川、五個荘を歩いて近江紀行を補充し
疲れきって帰ってきた翌日の今日が還暦だった。
妻は息子の荷物をまた荷造りして、今日、独身寮に送るべく運送屋がとりにきた。

60年目の誕生日だからなにか特別に感じるものがあるかもしれないと
それなりに心の準備はしておいたのだが
もっぱら互いの肉体的疲労をいやすために
妻といつもの居酒屋で一杯やって帰ってきただけだった。

退職だの、定年だの、団塊世代がどうだの、田舎生活だの、技術移転問題だの
世間は騒ぎすぎではないか。

定年退職は昔からあるはなしだ。
平均寿命が60そこそこだったころは還暦はそれなりにめでたかっただろう。

会社はもう60歳だからといってやめさせられなくなった。
60歳になったからといって年金をもらえることにもならなくなった。
いわば還暦を65にひきあげよという風がふいている。

今や60という年齢はきわめて中途半端な存在になりつつある。
59や61よりも数論的に美的だというだけで、個人的な感慨はなにもない。


今週末でも自分でデジカメにむかって遠隔自己撮影を試みてみようかと思っている。
5年毎の葬式写真のアップデートだ。」

 

2006年4月14日(金)22時5分 還暦、定年、いよいよ60歳etc,etc...気楽に考えたいものです・・・
成宮敬也 (旧3年4組) wpe1.jpg (856 バイト) keiya@mint.ocn.ne.jp

 金亀十三会ご同輩は、この4月から来年3月一杯にかけて還暦を迎えます。勤め人であれば十二支の戌年生まれの人は今年中に、猪年生まれの人は平成19年3月中に世間一般にいう定年に達します。もっとも自営業の人には定年という話はないかと思いますが…。いずれにしろ満60歳は人生の節目であることは間違いないかと思いますが、一方、人生の節目は還暦だけではないようにも思います。自分自身が結婚して家庭を持つのも、また自分達夫婦に子供が誕生するのも、自分の親に寿命が来て父や母を送るのも、子供達が成長し職業に就きやがて結婚していくのも、それぞれに大切な節目であり今の歳まで来た自分を振り返って見るともっともっと節目はあったかと思います。今頃の年齢になり、自分自身で思う夫々の節目の時に自分は「十分な対応ができたのか」と反省することも多々あります。只、運よく? 我が身のことだけを見れば何とか生かしてもらったという按配です。よくわれわれ団塊の世代は「職場にあっては部下や後輩を叱らない」、家庭にあっては「息子や娘を叱らない」、つまり次の世代を教育していないなどといわれます。そういわれて見ると「そうかなあ」と思ったり、「それは一面的な見方だ」と反発したりもします。ただ「叱る」、「叱らない」は別として今まで自分自身が生きてこられたのは、自分より先に生まれた人が、また自分より何かと人生経験豊かな人が「これはこうだよ」と教えてくれた積み重ねだと思います。さして特筆すべき能力があったわけでもなければ、周りに比べて何か特別の努力をしたかと振り返って見ると恥かしいことに「?」の限りです。それでも何とか活かしてもらったにもかかわらず「定年後どうするのか」もこれまた「?」です。
 「定年後どうするのか?」、今まで自分が人に教えられ生かされ、活かしてもらったことを思えば、やはりそのお返しかとも考えます。何らかのボランティアもそうでしょう。身近なところでは自らの子供の、それこそ人生の節目である結婚に際し親としてのアドバイスをするというのもそうかと思います。もっとも人によっては子供達の一本立ちは親の定年前に済んでいるかも知れませんが…。
 子供の一本立ちというと3年前に娘が結婚しましたが、若い人というか、娘は娘なりに伴侶となるべき相手と2人して真面目に「どうするのか」を考えているのですが、私の半分も生きていない分、当然、何かと分らないことがあるのが当然です。つい、親としては「そんなことは当り前だろう」といいたいのが本音ですが、そこはそれで、「お父さんの時代はこうだった(〜といっても若い子供達には何十年も前?の親の時代は分らないし、世間の環境も違う〜)」「そんなことは社会に出て何年もすれば常識だと分るだろう(〜といっても若い世代、決して馬鹿じゃないのだが自分で実体験していないことはシミュレ−ションでしか分らない〜)」などと押し付けがましくならないように「彼のことは、以前家にも来たし凡そのことは分っているつもりだが、いよいよ結婚ということになると改めてそれぞれの両親への報告も兼ねて彼の両親に家へ来てもらったらどうかね。何か、形ばかりに見えるかも知れないけど、その方が先方の両親も安心すると思うよ。君が学校を卒業して社会に出た時に何かと職場のル-ルを上長や先輩からいわれたかも知れないけど結構、形ということは大切みたいよ。こちらも女房と先方へ伺いたいと思うよ」とか、「結納?彼との相談では君は必要ないということかい?今は当人どうしのそれぞれの家に負担をかけないとかの理由で省略ということではないが、他の方法にすることも多いらしいね〜。それに結婚は何といっても当人どうしのことだし…。世の中、何かと変わってきたとはいえ結婚指輪、こればかりは皆キチンとするようだね。彼の両親とも顔合わせするのだけれど、その時に彼が結婚指輪を君に送る場を設けるようにしたらどうだろう。つい半年ほど前長男が結婚した友人の話だとホテルや結婚式場に聞くとそういう場を設けてくれるそうだよ。食事を挟んで婚約の場を設けるということだね。まあ今風?の結納がわりの場というか…、指輪はもちろん彼が〜」とか、「挙式スタイル? 教会でウェディングドレスで〜。そうだね、今とは事情が違うかも知れないが、教会ではなかったけどお母さんもウェディングドレスには何かと拘ったよ。彼のお父さんが〜ウチは浄土真宗だから教会でなんて〜といっている? 結婚式は何といっても当人どうしの望む形で〜というのが最優先だろうが、そうはいっても長男である彼の実家のお父さんの考え方も古い、古くないは別にして、これからの親戚としてのお付き合いを考えれば無視するのはどうかな…。この辺のところは最近の結婚式場は相談すると、挙式スタイル、披露宴スタイルはいろいろな人の価値観を取り込んで上手に考えてくれるとも聞いているよ、君が彼と式場を決める時に相談して見ると良いと思う」等々といった、やり方の善し悪しは別にしてそれこそ娘にアドバイス?ができたかは「?」です。
 定年後、3年〜5年ぐらい嘱託などの形で社会とつながっていく人はさておいて、定年で「スパッ」と組織から離れてしまう場合、「贅沢しなければ生活は十分」ということで何もしないで過ごすのは〜。やはり、何らかの形で世間とつながっていくことは大切かと思います。金亀十三会のHPで、もう随分前、現役時代?から「社会福祉のボランティア」に貢献したり、あるいは「外国青年家族への出来ることでの支援」に携わったりといったご同輩のメッセ−ジを見た記憶がありますが、これは非常に良いことですが、なかなか出来ない、ことに、それこそ恥ずかしながら自分のことしか考えてこなかった小生には逆立ちしてもできそうにもなさそうです。しかし、そうはできなくても身近なところでは家族や血縁者への自分なりの知恵?を意識して伝える、アドバイスするということも第ニの人生では大切にしたいものです。最近はどこの自治体も地元ボランティアを求めたりしています、そういう場とつながっていくのも一法でしょうとも思ったりします。「団塊の世代」、「いよいよ定年」といった声を聞くと、未だに「定年後、どうする」と確固と決めていない未成熟な自分にホトホト唖然とする始末です。そんなことを
言いながら多分5月からスタ-トするプロジェクトを「どうするか」などと気にしているのですから、全く何というべきか〜。どなたかのHP書込みにあったように「プ−ルで〜」というのも良いことだと思います。良い意味での「気楽に考える」、「柔軟に思考する」という頭が無い。この辺は今更ながらといわず第ニの人生で直していかなけばならないことかとも思います。相変らず意味不明の書込みになってしまいましたが、HPに「還暦」、「第ニの人生」という書込みを見ると、何かと思う未熟な自分です。
(出張先:紀伊田辺 ビジネスホテル「花屋」にて)

 

2006年4月8日(土)21時44分 とりとめも無く
沢田 建二 (旧3年4組) wpe1.jpg (856 バイト) kenji@kyo10.com

時代の世相も随分と変わったもので、しかも友人達との最近の話題もめっきり私生活の分野に趣を置く様になってきたと思うこの頃です。早々還暦を迎えられた方々へは、おめでとうと申して良いやら悪いやら、しかしながら人生再スタートの節目に来たようですね。
冒頭へ戻っての事ながら、その一編に娘息子達の巣立って行く過程には結婚もしくは結婚式なるプロセスが実に曖昧なのである。出来ちゃった結婚!ふざけるな・・・!とのたまいたくも犬の遠吠えの如く、結納って何?仲人さん、そんなの要るの?結婚式は海外ツアーの一環なのか?仏教徒なるものが教会で挙式?など等けじめやしきたりが荒廃しつつある当世の現実に空しさを覚えます。
皆さんどないしやはりました?orしてはります?
ご意見拝聴乞い願います。
友の間で最後に還暦を迎える知恵遅れの沢田でした。

 

2006年4月4日(火)14時59分 
山下 小花 (旧3年10組) wpe1.jpg (856 バイト) kohana-1946@orion.ocn.ne.jp

   一番乗り!!!(たぶん・・・きっと!)
 今日4月4日 ついに 還暦を迎えました。
ホームページでは 初めましての 山下 小花です。 
 人生60年いろいろありましたが 今日の誕生日を(まあまあ無事にと言っておきましょう)迎える事ができました。
現在 母親の介護・孫の世話とめまぐるしい毎日を過ごしています。
合間にストレス解消にプールに通い泳いでいます!
 “継続は 力なり”で 泳げなかった私が 今では な・な・なんと
四泳法・・・クロール・背泳・平泳ぎ・そして…バタフライ(・・トドの乱舞!)マスターし束の間を 楽しんで頑張っています。
これからも 皆さんお互いに還暦だからと言って ショボクレないで
頑張りましょうね!!(・・・・・と言ってる私が一番ショボクレているのかも・・・・・・!!!!!) 

 

2006年3月15日(水)5時33分 学士院賞おめでとう!
松宮 剛 (旧3年5組) wpe1.jpg (856 バイト) matsumiya419127@jcom.home.ne.jp

我々の2年後輩、成宮 周(なるみや しゅう)氏、57歳が「プロスタグランディン受容体の研究」の顕著な功績によって、学士院賞並びに恩賜賞を受賞しました。愛知川小学校の同窓でもあり、妹の友達であった事もあって格別の感慨があります。心からのおめでとう!を贈りたいと思います。業績そのものも極めて意義深い、卓越したものであることも添えておきたいと思います。

 

2006年2月12日(日)10時27分 オードリーやエルヴィス
加藤(宮川)吉治郎 (旧3年1組) wpe1.jpg (856 バイト) kkichijiro2003@ybb.ne.jp

去年の春先から新しい仕事を始めた。この仕事、とても面白いのだがまったく骨が折れる。
アメリカのシアトルにあるb&m!社という出版社が製作している「エルヴィス・プレスリー」や「オードリー・ヘップバーン」など伝説的スターのお宝グッズ入りの本を日本で売る仕事である。
これから「アーノルド・パーマー」「ミッキー・マントル」「B・B・KING」「グレス・ケリー」「エリック・クラプトン」「ジョン・レノン」など次から次へと発行される。それを国内のライバルを蹴落としながらアメリカから買い、日本で売るのである。
私たちの世代にどんぴしゃだと思って始めたのだが、体力と気力が勝負の仕事である。
無いのは時間!
1月は行く、2月は逃げる、3月は去る、という言葉があるそうだ。
確かに実感としてはそう思うが、冗談ではない。
逃げられてたまるか。去られてたまるか。
1月は勢いよく、
2月はにぎやかに、
3月は騒ぎ立てて突き進む。
私、来年還暦ですが、やっぱり猪突猛進が止められません。

 

2006年1月13日(金)1時42分 今頃の「明けましておめでとうございます」
成宮敬也 (旧3年4組) wpe1.jpg (856 バイト) keiya@mint.ocn.ne.jp

 「明けましておめでとうございます」が、今頃になってしまいました。振り返って見ると昨年暮れの最後の出張は、12/20から22日までの青森のクライアント先での仕事。出張から帰ると年内〆の会議が社内で続き、年末年始のお休み、ところが、このお休み中は年明け以降の「プロジェクト運営の準備」におおわらわで初詣もなし。年が明けると、5日は仕事初め、早速、翌日6、7日は千葉のクライアント先への挨拶。8、9の休日を挟んで10、11日は神奈川のお客様への訪問。そして、今日12日は一旦、会社の事務所へ出て和歌山への出張、全く自分は何をしているのかと思うバタバタぶりです。こんなことで良いのか、ようやっと今頃ホットしたばかりです。今年はわれわれ世代、定年に向けての1年です(〜とは言っても、自営業の人には定年は無いし、勤め人も63〜4歳まで嘱託等々で組織に残るのですが〜)。この1年は、60歳でサッパリと仕事や現役勤め人にピリオドを打って新しい生き方を即スタ−トするのかどうか自分なりの人生設計を決めて定める、1年間だと思います。しかし、われわれ団塊の世代ついにここまで来てしまったのかの感がします。われわれ世代はこれまでも何かと社会に影響を与え続けてきたように思います。この1年は、60歳以降は「付録の人生」だとは思わず、「新たな出発点」だと位置付けるための準備の時間にしたいものです。金亀十三会の皆々さま、本年も又新たな出発点以降もよろしくお願いします。

 

2006年1月11日(水)17時49分 東彦一三会懇親ゴルフ会
草野裕志 (旧3年3組) wpe1.jpg (856 バイト) hiro-kusano@nifty.com

新年お芽でとう御座います。

久しぶりに、掲示板を見ました。少し寂しいですね。という私も、最後に投稿してから相当の時間が経ちます。
私は戌年10月生まれの、今年が還暦です。加藤さんも言われる様に、人生の再出発をする積りで、少しはのんびりと、多少はゆとりを持って、そして沢山のチャレンジを楽しみながら過したいものです。

という訳で、早速、気さくな仲間とのゴルフのお誘いです。
東彦一三会の懇親ゴルフ会も、回を重ねて、ついに第13回を迎える事になりました。前回の第12回は、15名の参加を頂き、好天の下、富士山の絶景を堪能しながら楽しく過すことが出来ました。
次回の幹事は、桂木正雄さんと私、草野が務める事になりました。
下記のように開催する予定ですのでご関心のある方は是非とも参加下さい。
  東彦一三会第13回懇親ゴルフ会(予定)
   日時: H18年5月21日 8:00 スタート
   場所: 東富士カントリークラブ(御殿場駅近く)
        電話 0550-78-0121
   費用: プレー費 20,000円 + 会費 

念のため、腕前は問いません。未だ女性の参加はなく、女性の参加も大歓迎です。勿論関東以外からの参加も大歓迎です。
一度、多少のゆとりの積りで参加されませんか?
感心のある方はメールでご連絡下さい。近日、正式案内を送付させていただきます。

今年も宜しくお願いします。
                      草野裕志

 

2006年1月5日(木)7時1分 還暦イヤー
加藤(宮川)吉治郎 (旧3年1組) wpe1.jpg (856 バイト) kkichijiro2003@ybb.ne.jp

還暦をお迎えの戌年の皆様、おめでとうございます。
来年に還暦を迎える亥年の一人としてお祝い申し上げます。
私、このごろになってやっと仕事が面白くなり始めました。
長年の経験が活かせることと活かせない仕事が両方あって、新たな困難にぶち当たるたび「よ〜し、今度はこの方法でどうじゃ!」とゲームや推理小説のように、仕事で遊ばせてもらっています。
人生80年!90年!ここからが再起動ではないでしょうか。
「還暦なんてそんな年寄くさいことはごめんだ!」と思っておられる方もいらっしゃると推測しますが、還暦の今年を起点に、また新たなる青春を謳歌しようじゃありませんか。
なお赤いチャンチャンコを着るのは、十干十二支が一回りして元のいわば赤子に戻る象徴とか。ならば青春に戻るつもりで、スカイブルーのセーターやショッキングピンクのシャツや黄色のジャケットなんぞもよろしいんじゃないでしょうか。
戌年生まれの一年先輩の後を着いてまいりますので、どうぞよろしく!

 

2005年12月14日(水)10時14分 ♪日ごと寒さがつのります〜
加藤(宮川)吉治郎 (旧3年1組) wpe1.jpg (856 バイト) kkichijiro2003@ybb.ne.jp

今年初めて「湯たんぽ」を使いました。
何がよろしいかと申しまして……、これを入れたとたんに朝までぽかぽかほかほか寝ていられるのであります。
寒さとともに、夜中に手洗いに立つ難儀に見舞われるのは歳相応と覚悟しているものの、一昨日など三度も起こされては身が持ちませぬ。
そこを湯たんぽが救ってくれます。
電気毛布にも電気アンカにもかなわぬ湯たんぽの効用であります。
なお湯は夜ストーブで沸かし、朝は洗顔にこの湯を使うのでありますから、一挙三得と申せます。
メデタシメデタシ。

 

2005年12月3日(土)15時29分 先日の話の続き
沢田 建二 (旧3年4組) wpe1.jpg (856 バイト) kenji@kyo10.com

先日お話しました件ですが、11月23日に野村君のお世話で2年9組時のメンバーが9名集いました。その時撮影した写真を西村君にお頼みして「私の近況報告」の欄に掲載して頂きました。お暇な方いらっしゃればご覧になって見て下さい。そして又当時のクラスが一緒だった方は次回に是非参加ください。
野村君のメールアドレス k-nomura@lecien.co.jp

 

2005年11月23日(水)21時18分 2年9組時の京都での集い
沢田 建二 (旧3年4組) wpe1.jpg (856 バイト) kenji@kyo10.com

気が付けば、早や晩秋の候となっていました。成宮敬也君の何時もながらのエネルギッシュな活動をしている様を知るにつけ敬服の極みです。どうぞ健康に留意され、ご活躍下さる様、陰ながらエールをお送りしています。ところで今夏の同窓会の折には、宮川君のアイデア提供でシャッフルがありましたね。それにちなんで、ここ数年前からもお誘いがあって私は運悪く参加出来ていなくて実情を知らなかったのですが、実は2年9組時の友が集う会が、野村和雄君を主管としてあったのです。今年の秋は幸いにも私は参加させて頂いたのですが、そのリポートをここに掲載させてもらいました。
時まさに紅葉が真っ盛りの京都で、今日(11月23日)彼(野村君)が「京都の町を歩こう」等と粋な計らいをしてくれました。晴天に恵まれ、昼食は中華スタイルのコースで此れが又実に美味しかったのです。真昼間から美酒を飲み、美女軍団に囲まれ酔いがまわる事この上なし、その後は東山・青蓮院、岡崎・無燐庵、南禅寺と力強く踏破?しました。
道中での会話は終始留まることなく、日没の早さには残念極まりなかったと申しても過言ではありません。野村君には色々とお心配り下さって楽しいひと時を過ごさせて頂き、この場にて改め御礼申し上げます。そして今日の私達の京都での集いの一遍の写真をIT局長の西村仁司君へお送りして置きました。
掲載されれば幸いです。
今年も後一ヶ月余で終え様としています。皆さんにあってはさぞかし慌ただしくお過ごしかと思いますが、これからも色々な場で元気でお目に掛かれる様に祈念して止みません。
合掌

 

2005年11月12日(土)1時36分 幾つになっても懐かしい滋賀県・・・
成宮敬也 (旧3年4組) wpe1.jpg (856 バイト) keiya@mint.ocn.ne.jp

新幹線で岐阜羽島を通過して暫くすると伊吹山が遠くに見え、関ヶ原が広がっています。間もなく定年近い歳になった今も新幹線に乗りますと、東京方面から新大阪方面(上りもそうですが)に向っての車輌ですと迷わず「二つ席」のできれば窓側に座ります。理由は簡単です。滋賀県に新幹線が入りますと、子供の頃からの滋賀での思い出、その多くが琵琶湖側の車窓に何故か集約されてしまっているのです。米原駅を過ぎますと間もなく琵琶湖の湖面が浮き上がってきます。そして遠くに彦根城、後は順に犬上川、荒神山、豊郷病院を過ぎると懐かしい稲枝の辺り、愛知川、近江商人の街と大きく看板が掲げられた五箇所、間もなく安土城址、そして近江八幡、野洲病院を右手に見ている間もなく野州川を渡ると積水化学滋賀栗東工場の看板が見えます。そうこうしていますと大津の洗堰が見え、そして嵐山のトンネルです。今まで三桁のいきかえりとは言わないまでも何十回とも分らないほどの、ほぼ同方面の出張の度に同じように懐かしく琵琶湖の方を車窓から見るのですから、「俺は全く成長していない」なんて妙に考えてしまっり、「幾つになっても故郷が懐かしいのは当たり前」と、何となく自分自身を慰めたり?〜してしまうものです。ただ、風来坊のごとく仕事であっちこっちに出張していますと、思わぬところで予想もしなかった人と再会するなんてこともあります。先月、10月6日(木)にある独立行政法人の業務請負で大阪へ行った時、JR大阪駅中央改札口を出た所で中学校3年生の時に同じクラスだった「福原博君」にバッタリと出会ってしまいました。彼とは確か中学校卒業後の進路はそれぞれに別だったのですが、僅か3ヶ月ほど前のお盆に金亀十三会の同窓会があったばかりですから中学校の同窓会と、高校の同窓会を一瞬間違ってしまい、「俺たちの世代、定年を迎えたらまた十三会の同窓会をぜひ・・・」とついつい言ってしまい、これまた一瞬「?」となってしまいました。しかし、「思わぬ所で思わぬ再会をする」ということは、なかなか有りそうでいて、そうそう無いものですね。そんなことを考えますと、今年8月13日、正にお盆の真っ盛りに行われた金亀十三会の同窓会は「すごい」と思います。すごい〜?〜なかなかもう少し気のきいた言葉が見つかりませんので・・・。
 後もう少し経ちますと、われわれ金亀十三会同窓生は一斉に定年を迎えます。早い人は来年がそうだと思います。遅くとも2007年中に皆区切りがつきます。近頃、よく思います〜「定年後は、それまでの生き方、人生の総点検と総まとめ」だと・・・。いつの間にかこの歳まで来てしまいましたが、また一見平凡なまま来てしまったように見えても誰しも良いこともあれば、そうでなかったことも有りで、大なり小なり何かしらの変化の内にここまで来たのだと思います。それも多くの人に助けられながら〜。ついつい「俺は何とか自力でやって来た」といい勝ちなのですが、多分、自分1人ではとてもではないがとも思います。身近なところでは、今頃になって振り返って見ると、女房殿にもこれまでに感謝し切れていない分は、やはりこれは今後、感謝し直し会?〜でもやらなければと思ったり、若くして逝かせてしまった次男のことを無駄にしないためにも・・・と思ったり〜。それに既に所帯を持ち夫婦円満でやっている娘にも親として伝えるべきものはまだまだある、これは間もなく独立しょうとする長男に対してもそうです。人生の一区切りは、また、新たな出発でもあるように思います。相も変わらず、それこそ「??々々・・・」の文脈になってしまいましたが・・・。
 金亀十三会ご同輩、われわれ皆、一区切りが付けばまた同窓会で、その後の人生の充実を確かめ合いたいものですね〜。
 平成17年11月12日(土)、晩秋(というよりも初冬)の紀伊田辺 投宿先 より。

 

2005年10月1日(土)22時15分 母校準決勝を応援して(野球)
西川健二 (旧3年1組) wpe1.jpg (856 バイト) nishikawa560@yahoo.co.jp

本日、久しぶりに綾羽との準決勝応援しました。朝7時自宅を出発2時間30分後に彦根球場に到着。120kmの走行距離。しかし、応援の甲斐なく5回コ−ルド負け、でも明日北大津に勝ってくれれば、近畿大会に出場できます。明日、勝ってくれることを祈っております。近くのOG,OBの方は是非応援に駆けつけてください。2005 10 01
ダイヤモンドの恋の街「奈良県桜井市」在住の西川より
追伸 8月13日の出身中学別のグル−プ紹介がありましたが、小生甲良中学出身ですが5名入学、1名中退そして2名は既にPassed awayしてしまい円城篤夫君1人でしたので(彼は参加)声をあげられませんでした。以上

 

2005年9月29日(木)23時5分 秋の七草  やっと朝夕涼しく秋らしくなりました
椙本 和子 (旧3年1組) wpe1.jpg (856 バイト) kazuko.sugimoto

「秋の野に 咲きたる花を指折り かき数ふれば 七草の花」
「萩の花 尾花葛花 撫子の花 女郎花 また藤袴 朝貌の花」
             山上憶良(万葉集)
やっと朝夕 涼しくなり秋らしくなりました。
皆様 その後お元気でお過ごしでしょうか。
秋の七草
万葉の時代から秋の野に咲く代表的な花です。
尾花はススキ  朝貌の花は桔梗の花といわれています。
残念ながら今は撫子も藤袴も近隣ではほとんどみることができま
せんが、萩や葛やススキ オミナエシ 桔梗は野山で見られます。
春の七草は食べて健康になるものに対し、秋の七草は花をめでて
楽しんで健康になるものだそうです。
いよいよこれから秋本番 山野草や紅葉をめでに野山に出かけま
せんか。ストレス解消してリフレッシュしてまた頑張ろうかと
思う今日このごろです。

 

2005年8月31日(水)23時47分 楽しみにしていた同窓会も終わり・・・・
福田雅子(旧姓上原) (旧3年9組) wpe1.jpg (856 バイト) f-masa@mb3.suisui.ne.jp

8月13日の同窓会が終わって今夜で18日目。
西村さん苦心の写真集(?)の数々、楽しんで見せて頂いております。
懐かしい顔、顔、顔、・・・
40年もの年月が過ぎ去っているなんて信じられないような時間。
本当に楽しいひと時を過ごさせて頂きました。
色々お世話して下さった幹事の皆さんには、心からお礼申し上げます。
第一回目の同窓会が開催されたのが平成7年8月。
この年の1月には神戸で震災にあい、学生時代から元気だけが取りえだった私も、さすがに落ち込んでいた時の古い友との出会いは、再び元気を取戻せたようなすっきりした気分を味わいました。
あれから10年。
三回目の同窓会にも元気に出席出来、久しぶりに出会った友と賑やかに話しが出来、思い出深い一日になりました。
又、途中で2年生の時のクラスが集ったのも良かったですね。
二次会、三次会と時間の過ぎるのが早かった事!!!
後ろ髪引かれる思いで、皆再会を約束して家路につきました。
会長始め、幹事の皆様本当に有難うございました。
お忙しい中大変なのはとても良く分っておりますが、どうか次の第四回目の同窓会も開催して頂けますよう、何とぞ宜しくお願い申し上げます。

 

2005年8月22日(月)22時31分 新しい方からの入力を歓迎
西村 仁司 (旧3年7組) wpe1.jpg (856 バイト) hnishimu@kcat.zaq.ne.jp

先日の同窓会が終わり,そのときの様子の写真を掲載しましたところ,このホームページの8/16のアクセスページ数が628ページにもなり,皆さんの注目を集めたことが判りました。通常は多くても数10ページです。今週は200〜300ページで推移しました。
辻さん,村口さんからいつの間に,どのように撮ったのかご心配を掛けたようですが,写真が趣味でもあり,これまでも結婚式などの写真を撮った経験から,ご心配にはおよびません。しっかり食事もさせていただきましたし,久しく合った仲間とも十分話はしました。ホームページをどのように作るか,予め完成予想図を描きながら撮りましたし,デジカメはそのままJPEG画像を圧縮,銀塩フィルムの方は写真屋でCD−Rに焼いてもらいましたので,その画像をこれも圧縮しました。オリジナルの画像は250MB程度ありますので,重たすぎてアップはできませんでした。オリジナルを是非とも,といわれる方は,別途メールでも下されば,ご希望に沿うよう努力いたします。
新しい方がこのように一人,二人と掲示板に些細な内容でも結構ですので書いていただき,皆さんであらゆる機会を通じてこのホームページを盛り上げてくださることを望んでいます。

 

2005年8月18日(木)21時42分 幹事さん素敵な同窓会をありがとうございました。
村口 加代子 (旧3年8組) wpe1.jpg (856 バイト) maimura@arion.ocn.ne.jp

青春時代を同じ風景の中で過ごせたことを、今、とても幸せに思っています。”同じ釜の飯を食う”仲間同士なのですね。学生時代、ほとんど面識のなかった方(忘れているだけ・・・?)とも、不思議な懐かしさで、親しくお話しができてしまう。そんな雰囲気が同窓会の良さなのでしょう。お世話下さいました幹事様に感謝!感謝!!本当にありがとうございました。
西村様、あのたくさんの写真はいつの間に撮って下さったのでしょう。辻さんが心配されておられたように、お食事、ご歓談は十分されましたか、お伺いいたします。本当にお疲れさまでした。
また、脳科学のお話しを読ませて頂きました。多岐にわたって博識でいらっしゃることに感服しました。願わくは、川島隆太さんの著書もご愛読いただければ幸いです。
拙い文で恥ずかしいのですが、感謝を込めて初メールに挑戦しました。
次回の同窓会を楽しみにしています。      See you.

P.S.
 我が米原市醒井の地蔵川に、梅花藻(バイカモ)がかれんに咲き誇っ ている頃だと思います。サルスベリの紅と梅花藻の白のコントラスト が川面に美しく、バスで訪れて下さるほどの観光スポットです。機会 があればぜひ、訪れて下さい。

 

2005年8月17日(水)16時19分 幹事さんありがとう。
森 俊夫 (旧3年9組) wpe1.jpg (856 バイト) mori minoo osaka@aol.com

幹事の皆さん有難うございます。お蔭さまで楽しいひとときを過ごさせて頂きました。またこのような立派なホームページを立ち上げられご紹介頂き有難うございます。
卒業後40年近くなると皆様にお会いしても昔のかすかな記憶を頼りに
やっと誰々と思い出すの精一杯で未だに彼彼女は?と心地良く昔の回線を引きずり出しております。またこの掲示板をアクセスして懐かしい名前を発見し喜んでおります。
皆さんお元気な様子で頑張って今まで来られたなあと感無量の思いをしております。
もう直ぐ還暦を迎えるようになりました。また元気に次の人生を夢見ましょう。またの再会を期しております。お元気で。

 

2005年8月16日(火)23時55分 ありがとうございます。
辻 康子 (旧3年10組) wpe1.jpg (856 バイト) yasu1821@mx.biwa.ne.jp

西村さん、同窓会の写真本当にありがとうござしました。

あの膨大な写真を整理し、見やすいようにと、拡大して見られるように配慮して編集してくださり、本当に大変でしたでしょうーー。

それに会場を隈なく回り、あれだけの写真を撮って西村さん、お料理は召し上がりましたか? 皆さんとお話されましたか?

一枚、一枚を見ながら、思わず吹き出したり、にやーっ!と笑ったり、自分を見つけてぞーーっ!としたりーーー?

楽しかったあの雰囲気を再び味わわせていただいて、ほんとに嬉しく
思いました。

5年後もまた、このような素晴らしい同窓会が開けますように、微力ながらお手伝いしたいと思います。

今回、残念ながらご出席戴けなかった皆さん、こんなに楽しい、素晴らしい同窓会だったんです!

次回は、是非、是非ご出席ください!!! 

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