掲示板閲覧   (No.141〜No.160)

掲示板入力フォームへ     以前の内容を見る    次の内容を見る    最新の掲示板に戻る


 

2003年2月2日(日)10時21分 何か良いことは?
加藤(宮川)吉治郎 (旧3年1組) kkichijiro@aol.com

礒嶌君の激動の1年を読んで、ひとつひとつの出来事は、誰にも起き得ることですが、それだけ連続すると「続くストレス」だけでも大変だっただろうと推察します。
それにしても悪いことは勝手にやってくるが、良いことは待っていてもやってこない。
「果報は寝て待て」だの「待てば海路の日和あり」なんていうが、近頃ではますます力を入れないと、良いことに巡り会えそうな気がしない。
さて話は変わります。
酒を止めて5年。一番の変化は、酒のアテにしていた美味しいものを食べる機会が激減したこと。
夏のビールには小鯵のカラアゲ。秋のワインに鴨のオレンジソース。
そして今頃は熱燗に鮒寿司だったのです。
酒の当てにする鮒寿司なら高くても平気でしたが、酒を呑まない僕には一匹一万五千円、一切れ2000円もする高価な鮒寿司には手が出ない。
一昨年長浜のスーパーでちょっと小振りだが3500円ぐらいで売っていたのを買ったが、不味くは無いけど何かが違った。
安曇川に絶品があるという噂は聞いているが、岐阜県からではいかにも遠い。
鮒寿司好きの方、良い鮒寿司情報がありましたら教えて下さい。
なお切り身にして酒の当てにする以外、ごはんのおかずにする方法もご存知でしたら教えて下さい。
それにしても、新しい書き込みがないと不安に駆られるのは僕だけでしょうか。

 

2003年1月3日(金)22時35分 今年は!
礒嶌喜久夫 (旧3年4組) isokurit@mx.biwa.ne.jp

 はじめての投稿です。
 皆さん元気で頑張っていますね。暗いニュースが多く、混沌とした昨今ですが、皆さんのメッセージを拝見していると、若かりし頃を思い出し励みになってきます。
 ところで、私事ですが昨年は、一生かかってするような大事をまとめて一年で経験しました。
 まず4月に息子が結婚し、6月に娘が結婚しました。ここまでは良かったのですが、8月に胃癌で私が手術し、10月に弟が同じく手術をしました。弟の入院中の11月に親父が逝去しました。と言った具合で後半は、良からぬ事が続きました。よく世間では良い事の後には悪い事が来るとか、良い事は長続きしないとか言いますが、まさにそのような一年でした。私の胃癌は発見が早かったので大事に至らなかったのですが、若い若いと思っている我々はいろいろの疾患が出る年になっているようです。皆さんも定期検診は確実に受けましょう。
 この正月は食べたいものも食べられず、自粛の正月でもっぱらテレビと睨めっこです。今年もこれではダメかな?
 幸い、金亀一三会の多くの仲間と親しくさしてもらっています。この輪を一層広げ一年を通して良い年であるよう、しみじみ感じてのこの年のスタートとなりました。


 

2003年1月1日(水)15時3分 年賀状
西村 仁司 (旧3年7組) hnishimu@kcat.zaq.ne.jp

金亀一三会の皆々様

明けましておめでとうございます。

昨年はホームページを通じていろいろご協力頂きありがとうございました。本年もどうぞ宜しくお願い申しあげます。
今年の年賀状を見ていますと,だんだん年を取ってきたことを痛感するとともに,世の中の厳しい経済状況の中で,我々の年代も頑張っていることを伺わせてくれます。既に退職され新しい就職先に就かれている方,或いは充電期間として新しい事をされようとしている方と様々です。金亀一三会の方々もいろいろな方面でご活躍されているようで,ホームページを通じてお互いに近況報告ができればと思っております。
また,パソコンは苦手だと言われる方も,今年は一念発起してチャレンジされては如何でしょうか?
金亀一三会でお手伝いさせて頂きます。
本年もどうぞ宜しくお願い申しあげます。

平成15年元旦

追伸:
メールアドレスを変更しました。6カ月程度は旧アドレスと併用できます。「金亀一三会のホームページ」も3月末あたりを目標に新しいアドレスへ変更予定です。改めて関係者へご連絡さしあげます。

 

2002年12月24日(火)23時48分 今年も有難うございました、来年もよろしくお願いします!
成宮敬也 (旧3年4組) keiya@mint.ocn.ne.jp

 今年も後1週間となってしまいました。今日、明日の2日間は山口県美祢市への出張です。今日も30分足らずで終り、明日の事を考えると、何かとする事がある筈ですが、投宿先に戻り金亀十三会のHPを見ている始末です。出張先で一服がてらに、ついつい十三会のHPを見るのが癖になってしまったようです。
 なかなか無事平穏な1年というものはないものです。 勿論、世の中「超長期の不景気?」、そんな中で自分だけ安穏に〜というのは甘過ぎるということでしょうが…。十三会のHPが生まれて1年はとっくに過ぎて、もう暫くすると2年目を迎える訳ですが、この間、HPで元気なご同輩の様子を見て何かと励まされる点が多かったように思います。来年も楽しみに金亀十三会のHPにアクセスしたいものです。
 「ボーナス大幅カット!」「不景気につき廃業」「四大メガバンクも危ない?」等々の現実ですが、金亀十三会の皆様、今年もお疲れさまでした! 来年もよろしくお願いします。
 〔 追伸 〕12/1、関東での十三会、写真ありがとうございました。この場を借りて御礼申し上げます。

 

2002年12月22日(日)11時2分 正月の遺言
加藤吉治郎(旧姓宮川) (旧3年1組) kkichijiro@aol.com

昨年(2001年)の正月に思うところあって「遺言」を書きました。
今年も押し詰まって、そのことを思い出し、今度の正月に改訂版を作ろうと考え始めました。
理由は簡単。前に書いた「遺言」が何の役にも立たないからです。
私の「はじめての遺言」がどれぐらい役に立たないかをご覧に入れましょう。
一. 葬儀は音楽葬で執り行う事(宗教色は一切排除する事)
   選曲は後日具体化するが、必ず入れるべき曲は
1.「鈴懸けの径」(鈴木章二、ピーナッツ・ハッコウ)
2.「マイナー・スイング」(ジャンゴ・ラインハルト)
3.「ジャニー・ギター」(ペギー・リー)
4.「マイ・フェイバリット・シングス」(ジョン・コルトレーン)
5.「ブルー・バレンタイン」(トム・ウエイツ)
二. 弔辞を○○△△様にお願いして欲しい。
   ○○さんが、海外旅行中等で連絡がつかないときは諦めるが、余   人を以って代えるべからず。
三.大量のレコード・蔵書、加藤家から伝わる書画骨董道具ガラクタは全て売りさばき、後々の為に使うこと。決して未練を残さないこと。

と、これだけである。
つまり本当に大切なことは何一つ書いていなくて、どうでもよいような葬式のことだけが書いてある。
こんな遺言では無い方がましだ。
そこで来年は、役に立つ遺言に進化させようと思っている。
「正月に遺言なんて縁起でもない」と仰る方もあるでしょう。
でも還暦のカウントダウンに入ったのですから、元気で面白い老後のために、後顧の憂いをなくしつつ、さらに前向きに走るきっかけに「新年の遺言」を書こうと考えているのです。

 

2002年12月4日(水)15時54分 近江八景
山根 範子 (旧3年4組) noriyamane@aol.com

 先月、滋賀県立美術館にて「小倉遊亀展」が開かれました。
ご存知でしょうか?二年前に105歳で亡くなった大津市出身のおばあちゃん日本画家です。大阪出身の友人二人を案内したのですが、その際、常設展示場にある、近江八景の屏風に興味を持たれ、何処のことをいうのか尋ねられたのです。得意になって説明しかけたのですが、六つ目ぐらいからパタッと止まってしまい、今後のために再確認しました。皆様にも教えてあげます。(小倉さんの絵のほうは、「ま、102歳まで絵筆を取っていたなんて凄いな! 人物 椿 梅 九谷焼の好きなおばあちゃんだったのね」 と思いました。)

 近江八景
矢橋の帰帆  (矢橋)
瀬田の夕照 (瀬田の唐橋)
石山の秋月 (石山寺の月見亭)
粟津の晴嵐 (粟津の湖岸辺り)
三井の晩鐘 (三井寺)
唐崎の夜雨 (唐崎神社の老松)
堅田の落雁 (浮御堂)
比良の暮雪 (比良山)   〔凡そ湖岸東側から西側へ〕
以上です。近江出身の私達です。いつ何処で聞かれてもさらりと答えられるようにしておきましょう。
何? 『そんな事覚えてないのはあんただけや!』って
                       失礼しました。
    

 

2002年11月26日(火)21時25分 音楽会への誘い
松浦 博司 (旧3年8組) matsu764@mx.biwa.ne.jp

初めて投稿します。
皆さん、いろんな社会で活躍しているようですね。
会社組織での活躍だけでなく、更に地域社会や趣味の世界で自分を表現するのも、生きがいの一つかもしれません。
私も学生時代にやっていたコーラスに再び足を染め、仕事の諸々をしばし忘れるべく、癒しを求めて週1回練習に励んできました。
今度、その成果を発表する音楽会が次の内容でありますので、是非同期の皆さんに来ていただきたく、筆をとりました。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
  ・日時 ; 12月7日(土)18:30開演
  ・場所 ; 大津市民会館(大津駅から徒歩10分)
  ・団体名 ; 市民合唱団コールライゼ
  ・音楽会 ; 第30回音楽会
  ・ステージ ; 1ステ 「岬の墓」團伊玖磨曲
          2ステ 「ブラームス」
          3ステ 「日本の名歌」山田耕作曲
          4ステ 「日本の四季」
私の所属している合唱団は滋賀県でもトップクラス?であり、30回を迎える演奏会です。内容的に懐かしい日本の叙情歌もあり、十分楽しんでいただけると思います。
尚、入場料は1,500円となっていますが、私の方にメール又は電話・Faxをいただければ、無料にて必要枚数を送付しますので、早目にご連絡願います。(077-586-1898 電話 & Fax)
又、合唱団のホーム・ページに、音楽会のパンフレットがありますので、見てください。
http://www.biwa.ne.jp/~reise/

初冬の夜に、同期の皆さん達と、又ご夫婦で、又愛人の方?とゆったりと音楽を楽しみに来てください。待ってます。

 

2002年11月24日(日)18時30分 発掘調査
沢田 建二 (旧3年4組) kenji@kyo10.com

暫くのご無沙汰でした。難局の時代、零細企業は日々闘っております。
今月に入ってからの急激な寒さが手伝って、京都市内の紅葉も一段と冴え渡っている様です。皆さんにその美しさを提供出来ればと、この休日デジカメ持って待機していたのですが、私の住むすぐ近くの本能小学校の
跡地(当校は少子化のあをりで5年程前に廃校)の発掘調査が半年近く経過し来年8月まで続くとのことです。今日此れまでの進んだ調査の説明会が京都市埋蔵物研究所からありました。
貴重な機会だと思い、出向いてみました。当所は信長で有名な本能寺の変があった所と推察されていますが、現在の調査では、やや北の位置に
あったのではと思われています。
発掘調査の背景や出土した物件の一部の写真を西村仁史君にお預けしました。時代の頃は西暦年号で1600年頃からのものです。
又江戸期からの京の町屋等の詳細を、私のお向かいのご主人が調査研究をしておられ近く自費出版をなされます。
興味関心お有りの方は沢田までお問い合わせ下さい。
今年も後一ヶ月余りと、時間の経つのが全く速いですね。
年齢と共に、皆様健康にお留意下さい。

 

2002年11月18日(月)11時3分 初めて投稿&旧友の情報
成宮 彦策 (旧3年3組) planet_kikaku4@kns.jtb.co.jp

お初に投稿します。(Yahooで検索したら見つかりました。)
米原出身の「田辺とも子さん」(東高の同期)が、今、南米のウルグアイへ海外協力隊の一員として行っています。(栄養食指導のため)
彼女の友人(女性)3名が、9月22日から約1週間の予定で田辺さんを励ましに(?)行かれましたが、その折りに航空券の手配をたのまれ、格安+追加割引でお渡ししました。
ウルグアイの首都モンテヴィデオまで、約40時間かかります。この3名の方々のリッチさ・優雅さ・自由な時間にはうらやましく思いましたが、度胸の良さにも驚かされました。
田辺さんは、来年の桜の咲くころ帰国予定ですが、お知り合いの方は、メール等で励ましてやってください。メールアドレスは次ぎのとおり。
   tanabe@adinet.com.uy
加藤(吉)君へ、来年春ごろに「米原・ミニ同窓会」を考えて!(小・中・高なんでも結構です。)・・・・突然に失礼しました。 彦やんより。



 

2002年11月10日(日)11時7分 柏崎は既に真冬です!
成宮敬也   keiya@mint.ocn.ne.jp

今週は会津若松を経由して、新潟県柏崎市に所在する企業さんへ土・日を活用しての研修会に来ています。丁度、今の時間帯は受講者の方々は筆記試験中で、私の方は「暇」ということで、十三会のHPを見たついでに、とりとめもないメ−ルを書いています。それも携帯電話経由ですから、「又、女房に文句を言われるかも知れない」と思いながら〜。
しかし、今、来ている柏崎というところは本当に寒いですね。もっとも海がすぐそこで、風が強いということもあるのですが・・・。いずれにしても、出張の多いご同輩は、出張先によっては徹底した防寒対策が必要です!

 

2002年10月18日(金)14時0分 萩の七化け
坪田保雄 (旧3年4組)

萩で湯飲みを買われて大切に使っておられ、貫入による湯飲みの表情の変化を楽しんでおられる様子、いよいよ酸いも甘いも噛み分けた年代の余裕かと感じ入りました。
小生も素人陶芸を多少齧っておりまして、このような話にはつい膝を乗り出してと言う事になります。
蘊蓄を傾けさせて頂くと、貫入は土と釉薬の収縮率の違いが大きい組み合わせの時発生します。焼成後、窯から出して冷却が始まると釉薬のひび割れが始まり貫入が入ります。この時、チン、チンという澄んだ音が致します。この音を聞きながら、自分の作品を撫で廻している時が至福の時です。同じ肌でも陶器の肌を撫で廻して、悦にいっているのですから、まずは人畜無蓋で優雅な趣味と言えます。
二年前にここ陸奥の山形に赴任してからは、久しくそのような至福の時を過ごすチャンスがなかったのですが、最近陶芸再開のきっかけを得ました。
ある集落が村おこしというか、楽しみというか、道楽と言うか、陶芸のグループを組織していて、その仲間に入れてもらえそうなのです。
今、その集落では登り窯を作ろうとしており、まずその設置場所の雨除けの為の屋根作りが始まりました。
皆さん農業をしている人や、自営業の人は普段なんでも自分でやっているとみえて、とても器用に鉄パイプを組み合わせて、建屋を作り、トタンで屋根を葺いて行きます。こちらは高い所はとても無理で、資材運びや、梯子の押え役などもっぱら下働きをするだけです。こんな時、いかに自分が口だけで生きているかを実感致します。
今月末から登り窯本体の築造も始まるようです。今は、まず仲間に入れてもらえるように汗を流して働き振りを見てもらう必要があり、何十年か前の新入社員の時代に戻ったようなものです。
グループの中でめでたく市民権を得た暁には、久しく遠ざかっていた芸術の道にいそしむ事に致します。
良い作品が出来たら投稿致しますので、気長にお待ち下さい。芸術家というものはなかなか気難しくて、気が乗らないと作品に取り掛からないのが常ですので。
同好の士がおられたら、是非お話をお聞かせ下さい。

 

2002年10月7日(月)18時12分 久しぶりに金亀十三会のホ−ムペ−ジを見ました!
成宮敬也 (旧3年4組) keiya@mint.ocn.ne.jp

金亀十三会のHP、随分と長い間、見ていなかったような気がします。実際は、ほんの2〜3ヶ月ぐらいなのですが・・・。どうも、つい日常に追われてしまいます。この1年間、昨年の夏に母が逝き、そうこうしている内に、この秋には父が母の後を追うように逝ってしまいました。1年間の内にまとめて2回も喪主を務める有様です。年老いた人のことはさて置いて、自分の子供達も適齢期に来てしまっている。長女はもう具体的な話に追われざるを得ない。そうこうしていると、ここ2〜3年で長男のことも考える必要がある。何とか、次男がまだ大学生だからよいとしても、これも2〜3年先には、まずは、まともな形で就職させる必要がある等々、本当に「俺は、毎日、何をしているのか」と思うことしばしばです。こんな時に見る金亀十三会のHPは、やはりホットします。忙しいだのヘチマだのと言いながら、このメ−ルは会社から打っています。サボリついでに、2001年2月24日(土)22:43に始まった〜西村仁司さんの「掲示板ができました」から、2002年10月4日の辻康子さんの「私の湯飲みも」までの、HPへのメ−ル数は、通算すると何通かを数えて見ました。その結果、1組30通、2組ナシ、3組4通、4組43通、5組12通、6組ナシ、7組32通、8組5通、9組ナシ、そして10組が21通、更にわれわれの2年先輩からのメ−ルが1通、総計148通です。なぜか、麻雀の筋のように1,4そして7組と掲示板への記入が多いのです。
いずれにしても、折角の金亀十三会のHP、メ−ルアドレスがある同窓生には、早速、近々にHPの案内をしょうと思っております。1組の中村正巳君、8組の滝修二君、パソコンはお手のものの筈ですから〜。
人であるが故に、当たり前ですが、人と人の関係が大切なことは言うまでもないことです。卒業から30年以上、次の同窓会だと40年程になってしまいますが、前回の同窓会にあれだけの人が集まるのも、そうそう無いのではと思います。ぜひ、HPへのアクセスも、もっともっと増えてほしいものです。

 

2002年10月4日(金)23時25分 私の湯飲みもーーー
辻 康子 (旧3年10組) vita−one@nx.biwa.jp

私も、ブーケの会員、萩、津和野を旅してきました!いつも通りの楽しいズッコケ旅でした!誰がズッコケたかはまた皆さんとお会いした時の話のネタに取って置くことにしてーーー、私の買った萩焼きの湯飲みも
見事に貫入が入ったのですが、買ったときのきれいなピンク色が消えてしまって一寸がっかり!本物の手作りの証拠なのですがーー。
戴き物の萩焼きを本物と思って大事に何年も使っているのに綺麗なピンク色なのを見て何だか複雑な気持ちーーー美術的センスなし!審美眼はゼロ!美術の成績は2!では仕方の無い事かと?思いますがーーー。

 

2002年10月2日(水)15時55分 萩焼のお抹茶茶碗に、貫入が入りました。
椙本 和子 (旧3年1組) kazusugi@mub.biglobe.ne.jp

 9月中旬 ブーケの面々で 萩 津和野に旅行しました。
その際 萩の萩焼の窯元で求めたお抹茶茶碗を 日々大事に使って
いたら ある日突然 見事に貫入が入りました。
「萩の七化け」というんだそうです。
見た目同じ様に見える茶碗でも 数日使ったら 手作りの本物にだけ
変化がおき貫入が入り、機械作りの茶碗には入らないなんて素敵で
入ってくれて嬉しかったです。

遊んでばかりいるようですが 頑張って仕事もしております。
まあ 遊ぶために仕事をしているようなものですが。

 

2002年9月16日(月)18時17分 旧友にばったり出会って
西村 仁司 (旧3年7組) hnishimu@po.kulawanka.ne.jp

沢田君の掲示板を読みながら,私も先週,業界の集まりで東京に出張しましたら,そこでばったり圓城篤夫君(旧3年8組)と出会いました。東京でご活躍とのことで,会合が終わって久しぶりの挨拶をし,帰り道にこのホームページの話をしました。彼はホームページのことを聞いてはいたが未だ見ていないとのことだったので,早速帰ってメールでホームページのアドレスをお教えしました。すぐに見られたようで,懐かしい顔,最近の様子など判り,興味深く見たとのメールを頂きました。こうして少しずつでも,見ていただく仲間が増えてゆくことを喜んでおります。皆さんも知り合いの同窓の方で,意外と未だ見たこともない方がいらっしゃるようですので,是非,ご紹介して仲間を増やして下さい。

 

2002年9月14日(土)17時7分 遠隔地在住の友を尋ねて・・・
沢田 建二 (旧3年4組) kenji@kyo10.com

先週の6日より11日まで商用出張で札幌入りしておりました。
京都を離れると、その伺う土地に学友が居ないかと、何時もの事ながらTELしてみました。当事者は北川幸雄君(3年時・5組)でクラブ活動では体操部に属していました。持前の筋肉質な体つきで、大卒後、航空自衛隊に就職しておられました。同窓会にお誘いはしていたのですが、なにぶんにも職柄と、遠隔地でもあったが為に来られなかった訳です。
帰京する前日の10日の夜に宿の方まで出向いて下さって、暫しの時間でしたが37年ぶりにお目にかかれた次第です。
彼は2年前まで千歳基地の航空管制官として活躍していたそうで、現在は第二の人生だと言って、運輸会社に勤めておられます。
とても元気なご様子で、金亀一三会の状況を詳細に伝えて置きました。
取分け我が会のHPの世界を見て感動してくれていました。
彼の住所を記述して置きます。お心当たりの方は、TEL又は便りなど送ってあげてください。E-Mail手段は、只今息子君の所持するパソコン
にとお願いしてあります。追って連絡下さるでしょう。
  北川 幸雄 君
  062-0053 札幌市豊平区月寒東三条六丁目 1-1-1002
TEL 011-857-1119 



 

2002年9月3日(火)23時58分 富士山 登って来ました。
椙本 和子 (旧3年1組) kazusugi@mub.biglobe.ne.jp

 快晴の9月1日 富士宮ルートで 頂上まで登ってきました。
シーズンは もうオフに入っていて 六合目以上の山小屋は閉まっていましたので 前日新六合目の山荘で泊まり 早朝から頂上をめざしました。八合目からは なかなかキツかったですが 雲ひとつないめぐまれた絶好の山登り日和で 最高峰の剣が峰3776mに立った時は 嬉しかったです。
 日ごろ なかなか達成感がないのが仕事、生活というもので とりあえず努力して頑張って登れば そこに頂上がある そして運がよければ
素晴らしい景色に出会えるというのが 山登りの魅力です。
富士山は 天候さえ良ければ 危険性はなく 達成感が味わえます。
皆様ぜひ来年でも登られたらいかがでしょうか。お薦めです。
                 椙本 和子

 

2002年8月25日(日)20時10分 同窓会実行委員会のご報告
沢田 建二 (旧3年4組) kenji@kyo10.com

金亀一三会、実行委員会の夏季納涼親睦会には委員の半数近くが、はるばる京都の北山奥の貴船までご足労下さいました。各位多忙な中にあって、何時もの如く話題が絶えない雰囲気で無事終了致しました。今回の部外のトピックスは「花婿・花嫁の父になる」等の申告があり、年齢を積むと共に話題もいささか変わってまいりました。これが3or5年もするとやれあそこが痛だなどと・・・ならない様に願いたいものです。 どうやら現状の委員会スタッフの絆も安泰の様で、3年後の開催予定の同窓会も見通し明るい様で先ずはご安心下さい。ここ数日前の涼しさもつかの間、残暑が戻ってきた様です。皆様秋に備えお体ご自愛下さい。
末筆ながら、委員各位にご臨席賜りました事、御礼申し上げます。


 

2002年8月25日(日)17時23分 納涼親睦会
西村 仁司 (旧3年7組) hnishimu@po.kulawanka.ne.jp

昨日夕方から,京都の貴船川の川床料理に舌鼓を打ちながら,恒例になりつつある夏の親睦会に参加してきました。その状況はトピックスに掲載してありますので,ご覧下さい。ニュースは早いのが一番ですので,昨夕の状況を参加されなかった皆さんにもお届けします。12名の参加者でしたが,いつもながらのメンバーで半年毎に集まっていても,懐かしい想い出は尽きないものです。
少しずつホームページへのアクセスをされる方も増えてきている様子です。掲示板が一週間でも空くと,今日は誰かが新しい話題を書いているのではないか,と殆ど毎日のように見ておられる方もおられるようです。是非,見るだけでなく,貴方(女)の近況でも,見たことでも何でも結構です,書き込んでみてください。また,パソコンを始められた方には,是非このホームページをご紹介してください。特に,初めての方は,慣れておられないこともあって,URLを教えるだけでは入力が無理なようですので,是非メールにURLを書いてあげて(ホームページを開いた状態でアドレスをコピーしてメールに貼りつける),そこをダブルクリックすれば,開けるように教えてあげて下さい。
今回の集まりでも,話題になりましたが,なかなか自分でホームページを作るところまではできないが,趣味で撮った写真などを皆さんに公開したいとの意見もあり,皆さんからの希望があればそのようなコーナーも設けたいと思います。写真をホームページに出すには,写真のネガは要りません。昔撮った普通サイズの写真があれば十分です。多少の色褪せは修正できますし,大きさはご希望通りにできます。(イメージスキャナーで取り込みますと,簡単に電子データになります。)ご希望の方は,私宛に写真を郵送していただければ,試みて見ます。もちろん,どんなイメージになるか,ご本人の了解の上でアップします。一度やってみませんか?もちろん,電子データで送って頂いても結構です。

 

2002年8月17日(土)11時7分 頭の健康診断も
藤川建治 (旧3年5組) kenji146@jeans.ocn.ne.jp

ロスアンジェルスにいた50歳ころの話です。
耳鼻科に通うことがあって、頭部のCTスキャンでなくてGなんとかという
検査をうけました。
私の心配事はOKだったのですが、ついでに
「所々に小さな白い部分があります。これはアルツハイマーのベイビー
です。年の割にははやいですね」
と医者に感心されました。
自分史を書き始めたきっかけの一つです。
気になるかたは是非頭の検査も。

 


以前の内容を見る   次の内容を見る   このページのトップに戻る